です。」と周さんは微笑《ほほえ》んで、両手をうしろに組み、「月夜は、どうだろう。今夜は、十三夜の筈だが、あなたは、これからすぐお帰りですか。」
「きめていないんです。学校はあしたも休みですね。」
「そうです。僕は、月夜の松島も見たくなりました。つき合いませんか。」
「けっこうです。」
 僕は、まったく、どうでもよかったのである。学校が休みでなくっても、それまでちょいちょい勝手に欠席していたのだし、二日つづきの休暇を利用するというのも下宿の家族の者たちへの手前、あまり怠惰な学生と見られても工合が悪いので、几帳面《きちょうめん》にそんな日を選んだというだけの話で、実際は、二日つづきの休暇も三日つづきの休暇も、問題でなかったのである。
 私があまりに唯々諾々《いいだくだく》と従ったら、周さんは敏感に察したらしく、声を挙げて笑い、
「しかし、あさってからは学校へ出て、僕と一緒に講義のノオトをとりましょう。僕のノオトは、たいへん下手ですが、ノオトは僕たち学生の、」と言って、少しとぎれて、「Preiszettel のようなものです。」とまた私の苦手の独逸語を使い、「何円何十銭という札《ふだ》です。これが無いと、人は僕たちを信用しません。学生の宿命です。面白くなくても、ノオトをとらなければいけません。しかし、藤野先生の講義は、面白いですよ。」
 この、私たちがはじめて言葉を交《かわ》した日から周さんは、藤野先生のお名前をしばしば口にしていたのである。
 その日、私は周さんと一緒に松島の海浜の旅館に泊った。いま考えると、当時の私の無警戒は、不思議なような気もするが、しかし、正しい人というものは、何か安心感を与えてくれるもののようである。私はもう、その清国留学生に、すっかり安心してしまっていた。周さんは、宿のどてらに着換えたら、まるで商家の若旦那《わかだんな》の如く小粋《こいき》であった。言葉も、私より東京弁が上手《じょうず》なくらいで、ただ宿の女中に向って使う言葉が、そうして頂戴《ちょうだい》、すこし寒いのよ、などとさながら女性の言葉づかいなのが、私に落ちつかぬ感じを与えた。たまりかねて私は、それだけはやめてくれ、と口をとがらして抗議したら、周さんはけげんな面持ちで、だって日本では、子供に向っては、子供の言葉で、おてて、だの、あんよだの、そうでチュか、そうでチュか、と言うでしょう、
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