別会を私の下宿でひらいて、出席者の酒飲み大工とその十歳の娘、津田、矢島の両幹事、私、それから主賓の周さん、みんな立って、今思えば噴き出したくなるくらいの、声楽の大天才揃いの珍妙きわまる合唱を行い、
仰げば尊し わが師の恩
教えの庭にも はやいくとせ
思えば いととし この年月
今こそわかれめ いざさらば
互いにむつみし 日頃の恩
わかるるのちにも やよ忘るな
など歌っているうちに、まっさきにくるりとうしろを向いて泣いてしまったのは、この津田氏であった。口では何のかのと威勢のいい事を言っていながら、やっぱり、周さんと別れるのが、誰よりも淋《さび》しかったのだろう。私は津田氏と附合って、こんな佳《い》い半面を見るにつれて、以前ほど都会人というものを、おそろしくも、また、いやでもなくなった。また、あの田舎《いなか》ダンディと誤解せられていた矢島君も、その後、附合ってみると、ただ、ひどくまじめな人で、いつか周さんが仙台の人に就いて批評していたように、「東北の雄藩の責任を感じて、かたくなっている」だけなのである。「仙台の面目」とでもいうようなものに、こだわりすぎて、それで初対面の挨拶が固苦しく、尊大にさえ見えるのであるが、こっちのほうから遠慮なく突込んで行くと、急にはにかんで、なかなか親切な、気前のいいとこを見せてくれる。心の弱いのをかくそうとして、あんな尊大の挨拶をするのではなかろうか、と思われる。周さんに対して、あんなまずい手紙を突きつけたのも、決して支那のひとが劣等だからという侮辱の意味ではなくて、かえって、支那の秀才に対する畏敬《いけい》の気持も含まれていたのではなかろうかとさえ思われる。敬愛の念が、ぎくしゃくと奇妙に倒錯《とうさく》して、ついに、仙台あなどるべからず、とでもいうような「張り合う」気持などが出て来て、あんなまずい手紙を書いてしまったのではあるまいか。真面目な人が、へんに思いつめた揚句《あげく》で書くと、あんな工合に書体も奇怪な金釘流《かなくぎりゅう》になり易いものだし、また文章も、下手くそを極めるもののようである。要するに、まじめな人なのである。その頃、周さんが次第に学校の勉強に熱意を失いかけているのを見てとり、或いは自分があんな馬鹿な手紙を差し上げた事も、その周さんの不勉強の原因の一つになっているのではあるまいか、と非常に気
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