たのではなかろうか。人間の歴史というものは、たびたびそのように要領よく編み直されて伝えられなければならぬ場合があるらしい。どんな理由で、魯迅が自分の過去をそんな工合に謂《い》わば、「劇的」に仕組まなければならなかったか、それは私にもわからない。ただ、彼がその自分の過去の説明を行った頃の支那の情勢、または日支関係、または支那の代表作家としての彼の位置、そのようなところから注意深く辿《たど》って行ったら、或いは何か首肯するに足るものに到達できるのではなかろうか、とも思われるのだが、鈍根の私には、そんなこまかな窮竟《きゅうきょう》はおぼつかない。美女がくるりと一廻転すれば鬼女になっているというのは芝居にはよくある事だが、しかし、人間の生活においてそんな鮮明な転換は、あり得ないのではなかろうか。人の心の転機は、ほかの人には勿論《もちろん》わからないし、また、その御本人にも、はっきりわかっていないものではなかろうか。多くの場合、人は、いつのまにやら自分の体内に異った血が流れているのに気附いて、愕然《がくぜん》とするものではあるまいか。所謂「幻燈事件」というものも、その翌年の春、たしかにあった。しかし、それは彼の転機ではなく、むしろ彼がそれに依って、彼の体内のいつのまにやら変化している血液に気附く小さいきっかけに過ぎなかったように、私には見受けられたのである。彼ヘ、あの幻燈を見て、急に文芸に志したのでは決してなく、一言でいえば、彼は、文芸を前から好きだった[#「好きだった」に傍点]のである。これは俗人の極めて凡庸《ぼんよう》な判断で、私自身さえ興覚めるくらいのものだが、しかし、私などには、どうも、そうとしか思われない。あの道は、好きでなければ、やって行けるものでないような気がする。そうして彼の、かねてからの文芸愛好の情に油をそそいで燃えあがらせた悪戯者《いたずらもの》として、あの一枚の幻燈の画片を云々するよりは、むしろ、日本の当時の青年たちの間に沸騰《ふっとう》していた文芸熱を挙げたほうが、もっと近道なのではあるまいかとさえ私には思われる。当時の日本の文芸熱と来たら、それは大変なもので、文芸を談ぜずば人に非ず、といったような猛勢で、仙台に於《おい》ても、女学生たちは、読んでいるのかどうだかわからぬが、詩集やら小説本やらを得意そうにかかえて闊歩《かっぽ》し、星菫《せいきん》派とか
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