学生たちの情熱は決して間違ってはいないのだ。一緒に叫んでやったらどうだ。てれくさいの何のというのは、お前の虚栄だ。お前には少し、不健康な虚無主義者の匂いがあるぞ。お前の顔には、あの奴隷の微笑があらわれかけているぞ。気をつけろ。お前の心から暗黒を放逐《ほうちく》し、不自然でもかまわぬ、明るい光を添えて見ろ、と自身を叱り鞭打《むちう》って、自分の航路を規定したく、舵《かじ》を釘《くぎ》づけにする気持で、よっぽど僕は革命の党員にしてもらおうかとさえ思ったのですが、しかし、」と言いかけ、急にそわそわし出して、「何時ですか、もう、おそいんじゃありませんか?」
私は時刻を告げた。
「そうですか? も少しお邪魔さしてもらってもいいですか?」と醜い卑屈の笑いを浮べて、「僕はこのごろ、人の気持が、わからなくなってしまいました。支那の者どうしでも、わからない事が多いのに、まして、国籍を異にしている人と人との間では、わからないのは当然でしょうけれど、僕は、あなたに今まで少し甘えすぎていたような気がするのです。あなたばかりではない、藤野先生にも、また、この下宿の父さん母さんにも、僕は少しいい気になりすぎていました。僕は矢島さんなどのあんな手紙が、かえってさっぱりしていていいと思うのです。支那人は劣等だから、いい成績がとれるわけはないと、はっきりした態度を示してくれる。そうすると、こちらの気持もきまって、たすかります。温情は、どうも、つらくていけません。これから、あなたも、どうか思ったとおりの事を僕にいって下さいよ。この下宿では、こんなにおそくまで、僕なんかが話込んでいると、いやがるんじゃないですか。大丈夫ですか?」
私は黙っていた。こんなにいやらしく遠慮するお客ならば、或いは下宿の人たちも嫌悪するかも知れないと思った。
「怒ったようですね。僕は、でも、やっぱり、あなたにだけは安心しているようです。松島以来、あなたにはずいぶんつまらぬ愚痴ばかり聞いてもらいました。医学救国か。」と言って、ふんと笑い、「幼稚な三段論法を、でっち上げたものです。あんなのを、屁理窟《へりくつ》というのですね。科学。どうして僕は、あれほど科学を畏怖《いふ》していたのだろう。子供がマッチを喜ぶたぐいでしょうかね。いじらしいものだ。しかし子供がそのまま科学の武器を使用したら、どんなことになるかな? かえって悲惨なこと
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