。松島で一緒に泊って、幼稚な気焔《きえん》を挙げたりして、」といいかけて眼を伏せ、こたつにもぐったまましばらく黙っていて、それから急に顔をあげ、「実はね、きのう矢島さんが僕の下宿にあやまりに来たのです。あの手紙は矢島さんが書いたんですってね。」
その経緯《いきさつ》は、私も津田氏から聞いて知っていた。矢島君は、藤野先生から犯人捜査の依頼を受け、そうして、これからも周さんをいたわってやるようにいわれ、彼にもやはり東北人特有の道徳における潔癖性とでもいうものがあったのか、または、彼の信仰しているキリスト教に依って反省の美徳を体得していたのか、矢庭《やにわ》に泣き出して、その手紙の筆者は自分である、と自白し、このたびの愚かな誤解を深謝し、すすんで幹事の辞職を申し出て、後任には津田氏を推したが、津田氏もそうなると受けかねて、結局、幹事は矢島、津田の二名ということになって、四方八方まるく収《おさま》った様子で、津田氏は私の背中を、軍師、軍師、と言って叩《たた》いた。軍師も何も、私の無策が意外に成功しただけの事なのである。
「僕はノオトを、いつも藤野先生に直していただいているので、あんな誤解の起るのもむりが無いのですよ、僕はかえって、あの人に気の毒でした。前はあの人をあまり好きじゃなかったけれども、いろいろ話合っているうちに、なかなか正直な人だという事がわかりました。僕はちょっと皮肉のつもりで、あなたはクリスチャンでしょう? と言ってやったら、あの人は、まじめに首肯《うなず》いて、そうです、クリスチャンだから罪を犯さないという事はありません。かえって僕のようにたくさんの欠点をもっていて、罪を犯してばかりいる悪徳者こそ、クリスチャンの選手になるのです。教会は、僕のような過失を犯し易《やす》い者の病院です。Krankenhaus です。そうして福音は僕たち Herz の病人の Krankenbett です、と言うのです。その矢島さんの言葉が、へんに痛く僕の心にしみて、僕もふっと、その Krankenhaus の扉《とびら》をたたいてみたくなったのです。僕はいまたしかに Kranke なのです。それできょう、ふらふら、教会に行ってみたのですが、でも、どうもあの西洋風の大袈裟な儀礼には納得できないものがあって、失望しました。しかし、説教がちょうど旧約の『出エジプト記』の箇所で、モオゼ
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