だ。君は、どうも、周さんとばかり附合っているからいけない。君の名の田中卓を、クラスの者たちは陰で、田中卓《でんちゅうたく》と呼んでいるのだが、君は知るまい。どうだ君は田《でん》さんという名前なんだぜ。不愉快だろう?」
 私はそんな事は別に気にならなかった。しかし、津田氏がこんどの問題をなぜ私のところへ持ち込んで何のかのと支離滅裂な八つ当りの言辞を弄《ろう》し騒ぎ立てているのか、鈍感な私にも、少しずつわかって来た。津田氏はやはり矢島にクラス会幹事の名誉職を奪われたのがくやしいのだ。それでこの失意憂鬱の小政治家は、このたびの矢島の手紙を問題化させて、矢島に幹事辞職を迫り、かわって自分がふたたびもとのように堂々たる肩書のついた名刺を振りまわしてみたい、という可憐なたくらみを持って私のところにやって来たのに違いない。まず、周さんと一ばん仲のよい私にたきつけ、私が激昂《げっこう》して、またいつかのように藤野先生に御注進申し上げ、そうして、藤野先生は愕然《がくぜん》として矢島を呼び、彼を大いに叱咤《しった》して幹事の栄職を剥奪《はくだつ》する、というようなうまい段取りになりはせぬかと夢想して、こうして騒いでいるのではないかしらんとさえ疑われ、そう思ったら、いよいよ興覚めて、
「あなたは前から、そんな色んな事を知っていながら、どうして、矢島君たちに周さんの潔白を証明してやらなかったのです。」と口を尖らして言ってやった。
「それは、僕が言ったって駄目だ。あいつらは、僕もまた周さんの一味だときめてしまっているのだからね。僕と君と藤野先生と周さんと、この四人が、いまのところ、同様の被告みたいなものなのだ。実にけしからんじゃないか。あの藤野先生の御人格をさえ疑うとは、全くひどいよ。これはどうしても、僕たちのほうでも団結して対策を練らなければならぬ。君は、とにかくあした藤野先生のところに訴えに行き給え。僕はまた後で、ほかに同志を糾合《きゅうごう》するから。」
 果して、私の疑惑のとおりであった。私は、イヤになった。もう、矢島を殴るつもりも何も吹っ飛んで、早くこの馬鹿らしい政争から脱け出したかった。
「一つ約束していただきたいんですけれど、」と私は冷い頑固《がんこ》な気持になり、「僕はそれではあした藤野先生の研究室にまいりますから、先生から何かお指図《さしず》があるまで、この手紙の事は誰にも
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