の孝も、もともとそんな政策の意味が含められて勧奨された道徳ですから、上の者はこれを極度に利用して自分の反対者には何でもかでも不孝という汚名を着せて殺し、権謀詭計《けんぼうきけい》の借拠みたいなものにしてしまって、下の者はまた、いつ不孝という名目のもとに殺されるかわからないので、日夕|兢々《きょうきょう》として、これ見よがしに大袈裟に親を大事にして、とうとう二十四孝なんて、ばからしい伝説さえ民間に流布《るふ》されるようになったのです。」
「それはしかし、言いすぎでしょう。二十四孝は、日本の孝道の手本です。ばからしい事はありません。」
「それでは、あなたは二十四孝は何と何だか、全部知っていますか。」
「それは知らないけれども、孟宗《もうそう》の筍《たけのこ》の話だの、王祥の寒鯉《かんごい》の話だの、子供の頃に聞いて僕たちは、その孝子たちを、本当に尊敬したものです。」
「まあ、あんな話は無難だけれども、あなたは、老莱子《ろうらいし》の話など知らないでしょう? 老莱子が七十歳になっても、その九十歳だか百歳だかの御両親に嬰児《えいじ》の如く甘えていたという話です。知らないでしょう? その甘えかたが、念いりなのです。常に赤ちゃんの着る花模様のおべべを着て、でんでん太鼓など振って、その九十歳だか百歳だかの御両親のまわりを這《は》いまわって、オギャアオギャアと叫び、以《もっ》て親の心を楽しましめたり、とあります。どうですか、これは。僕は、子供の頃、それを、絵本で教えられたけれども、その絵はたいへん奇怪なものでした。七十の老人が、赤ちゃんのおべべを着て、でんでん太鼓を振りまわしている図は、むしろ醜悪で、正視にたえないものです。親がそれを見て、果して可愛いと思うでしょうか。僕が幼時に見た絵本では、その百歳だか九十歳だかの御両親は、つまらなそうな顔をしていました。困ったものだというような顔をして、その七十歳の馬鹿息子の狂態を眺めていました。そうです。Wahnwitz です。正気の沙汰ではありません。また、こういうのもあります。郭巨《かくきょ》という男は、かねがね貧乏で、その老母に充分にごはんを差し上げる事が出来ないのを苦にしていた。郭巨には妻も子もある。その子は三歳だというのです。或る時、老母と言っても、その三歳の子から言えばおばあさんですね、そのおばあさんが、三歳の孫に、ご自分のお碗《
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