道義、とでも言うべき底流は、いつでも、どこかで生きているはずです。そうしてその根柢の道において、私たち東洋人全部がつながっているのです。共通の運命を背負っていると言っていいのでしょう。さっき話した家族みたいに、どんなに各人各様に咲いたつもりでも、やっぱり一つの大きい花になるのだから、それを信じて周君とも大いに活溌《かっぱつ》に交際する事ですね。何もむずかしく考える事はない。」先生は笑いながら立ち上り、「一口で言えるやないか? 支那の人を、ばかにせぬ事。それだけや。」
始業のベルが、さっきから鳴っているのである。
「教育|勅語《ちょくご》に、何と仰せられています? 朋友《ほうゆう》相信じ、とありましたね。交友とは、信じ合う事です。他には何も要りません。」
私は駈寄《かけよ》って先生と握手したい衝動にかられたが、怺《こら》えて、ていねいにお辞儀をしたとたんに、
「君の顔は、あまり見かけないようだが、私の講義に出た事がありますか。」
「はあ、」と私は泣き笑いの表情で、「あの、これから。」
「新入生ですね。まあ、みんな、はげまし合ってやってくれ給え。津田君には、私からもよく言っておきます。私も、どうもクラス会で、不要の出しゃばりの事を言った。これからは、不言実行、という事にしましょう。」
私は廊下に走り出て、ほっと一息つき、なるほど、あれでは、周さんが褒《ほ》めるわけだ、先生も偉いが、周さんも眼が高い、と先生と周さんに半分ずつ感心した。自分もこれから周さんに負けずに先生の崇拝者になろう、先生の講義の時には、必ず最前列の席に陣取ってノオトをとろう、周さんはきょう学校に出ているかしら。私は一刻も早く周さんと逢いたくなって、いそいで教室に行ってみたが、その日も、周さんの姿は見えなくて、そうして、津田氏のいやな眼が、ぎろりと光っていた。けれども私は、何だかもう寛大な気持になっていたので、少し笑って会釈《えしゃく》してやった。津田氏もそんなに悪い人ではないらしい。ちょっとまごついて、それから、にやりと笑って会釈をかえした。でも、その日は一日、互いに避けるようにして、すすんで話合おうとはしなかった。放課後、周さんの病気というのはどの程度のものなのか、見舞いに行ってみたかったが、周さんの下宿が、はっきりわからなかったし、それに、同じ下宿にいる津田氏にまたたいへんな説教をされてもつま
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