して来ている。けれども、その光は、なんであるか自分にはわからない。光を、ぼんやり自分の掌《てのひら》に受けていながらも、その光の意味を解く事が出来ない。自分はただ、あせるばかりだ。不思議な光よ、というような事を書いたのである。いつか、兄さんに見てもらおうと思っている。兄さんは、いいなあ。才能があるんだから。兄さんの説に依《よ》れば、才能というものは、或《あ》るものに異常な興味を持って夢中でとりかかる時に現出される、とか、なんだか、そんな事だったが、僕のようにこんなに毎日、憎んだり怒ったり泣いたりして、むやみに夢中になりすぎるのも、ただ滅茶滅茶《めちゃめちゃ》なばかりで、才能現出の動機にはなるまい。かえって、無能者のしるしかも知れぬ。ああ、誰《だれ》かはっきり、僕を規定してくれまいか。馬鹿か利巧か、嘘《うそ》つきか。天使か、悪魔か、俗物か。殉教者たらんか、学者たらんか、または大芸術家たらんか。自殺か。本当に、死にたい気持にもなって来る。お父さんがいないという事が、今夜ほど、痛切に実感せられた事がない。いつもは、きれいに忘れているのだけれども、不思議だ。「父」というものは、なんだか非常に大きくて、あたたかいものだ。キリストが、その悲しみの極まりし時、「アバ、父よ!」と大声で呼んだ気持もわかるような気がする。
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母のあいより なおもあつく
地のもといより さらにふかし
ひとのおもいの うえにそびえ
おおぞらよりも ひろらかなり
[#ここから13字下げ]――さんびか第五十二
[#ここで字下げ終わり]
四月二十二日。木曜日。
曇。別段、変った事もないから書かぬ。学校、遅刻した。
四月二十三日。金曜日。
雨。夜、木村が、ギタを持って家へ遊びに来たので、ひいてみ給え、と言ってやった。下手くそだった。僕がいつまでも黙っているので、木村は、じゃ失敬と言って帰った。雨の中を、わざわざギタをかかえてやって来る奴は、馬鹿だ。疲れているので、早く寝る。就寝、九時半。
四月二十四日。土曜日。
晴。きょう朝から一日、学校をさぼった。こんないい天気に、学校に行くなんて、もったいない。上野公園に行き、公園のベンチで御弁当を食べて、午後は、ずっと図書館。正岡子規《まさおかしき》全集を一巻から四巻まで借出して、あちこち読みちらした。暗くなってから、家へ帰った。
四月二十七日。火曜日。
雨。いらいらする。眠れない。深夜一時、かすかに工夫《こうふ》の夜業の音が聞える。雨中、無言の労働である。シャベルと砂利の音だけが、規則正しく聞えて来るのだ。かけ声ひとつ聞えない。あすは、姉さんの結婚式だ。姉さんが、この家に寝るのも、今夜が最後である。どんな気持だろう。ひとの事なんか、どうだっていい。終り。
四月二十八日。水曜日。
快晴。朝、姉さんに、坐《すわ》ってちゃんとお辞儀をして、さっさと登校。お辞儀をしたら姉さんは、進ちゃん! と言って、泣き出した。すすむ、すすむ、とお母さんが奥で呼んでいたようだったが、僕は、靴の紐《ひも》も結ばずに玄関から飛び出した。
五月一日。土曜日。
だいたい晴れ。日記がおろそかになってしまった。なんの理由もない。ただ、書きたくなかったからである。いま突然、書いてみようと思い立ったから、書く。きょうは、兄さんに、ギタを買ってもらった。晩ごはんがすんでから、兄さんと銀座へ散歩に出て、その途中で僕が楽器屋の飾窓をちょっとのぞき込んで、
「木村も、あれと同じのを持ってるよ。」と何気なく言ったら、兄さんは、
「ほしいか?」と言った。
「ほんと?」と僕が、こわいような気がして、兄さんの顔色をうかがったら、兄さんは黙って店へはいって行って買ってくれた。
兄さんは、僕の十倍も淋《さび》しいのだ。
五月二日。日曜日。
雨のち晴れ。日曜だというのに、めずらしく八時に起きた。起きてすぐ、ギタを、布《きれ》で磨《みが》いた。いとこの慶ちゃんが遊びに来た。商大生になってから、はじめての御入来である。新調の洋服が、まぶしいくらいだ。
「人種が、ちがったね。」とお世辞を言ってやったら、えへへ、と笑った。だらしのねえ奴だ。商大へはいったからって、人種がちがってたまるものか。赤縞《あかじま》のワイシャツなどを着て、妙に気取っている。「体《からだ》は衣《ころも》に勝《まさ》るならずや」とあるを未だ読まぬか。
「ドイツ語がむずかしくってねえ。」などとおっしゃる。へえへえ、さようでござんすか。大学生ともなれば、やっぱり、ちがったもんですねえ。むしゃくしゃして来て、僕は、ギタをひいてばかりいた。銀座へ、さそわれたけれど、断る。
僕は、いま、少しも勉強していない。何もしていない。Doing nothing is doing ill. 何事をも為《な》さざるは罪をなしつつあるなり。僕は慶ちゃんに嫉妬《しっと》していたのかも知れぬ。下品な事だ。よく考えよう。
五月四日。火曜日。
晴れ。きょう蹴球部《しゅうきゅうぶ》の新入部員歓迎会が学校のホールで催された。ちょっと覗《のぞ》いてみて、すぐ帰った。ちかごろの僕の生活には、悲劇さえ無い。
五月七日。金曜日。
曇。夜は雨。あたたかい雨である。深夜、傘《かさ》をさして、こっそり寿司《すし》を食いに出る。ひどく酔っぱらった女給と、酔ってない女給と二人、寿司をもぐもぐ食っていた。酔っぱらった女給は、僕に対して失敬な事を言った。僕は、腹も立たなかった。苦笑しただけだ。
五月十二日。水曜日。
晴れ。きょう数学の時間に、たぬきが応用問題を一つ出した。時間は二十分。
「出来た人は?」
誰も手を挙げない。僕は、出来たような気がしていたのだが、三週間まえの水曜日みたいな赤恥をかくのは厭《いや》だから、知らん振りをしていた。
「なんだ、誰も出来んのか。」たぬきは嘲笑《ちょうしょう》した。「芹川、やってごらん。」
どうして僕に指名したりなどしたのだろう。ぎょっとした。立って行って、黒板に書いた。両辺を二乗すれば、わけがないのだ。答は0《ゼロ》だ。答、0、と書いたが、若《も》し間違っていたら、またこないだみたいに侮辱されると思ったから、答、0デショウ、と書いた。すると、たぬきは、わははと笑った。
「芹川には、実際かなわんなあ。」と首を振り振り言って、僕が自席にかえってからも、僕の顔を、しげしげ眺《なが》めて、「教員室でも、みんなお前を可愛《かわい》いと言ってるぜ。」と無遠慮な事を言った。クラス全体が、どっと笑った。
実に、いやな気がした。こないだの水曜日以上に不愉快だった。クラスの者に恥ずかしくて顔を合せられないような気がした。たぬきの神経も、また教員室の雰囲気《ふんいき》も、もうとても我慢の出来ぬほど失敬な、俗悪きわまるものだと思った。僕は、学校からの帰途、あっさり退学を決意した。家を飛び出して、映画俳優になって自活しようと思った。兄さんはいつか、進には俳優の天分があるようだね、と言った事がある。それをハッキリ思い出したのである。
けれども、晩ごはんの時、つぎのような有様で、なんという事もなかった。
「学校がいやなんだ。とても、だめなんだ。自活したいなあ」
「学校っていやなところさ。だけど、いやだいやだと思いながら通《かよ》うところに、学生生活の尊さがあるんじゃないのかね。パラドックスみたいだけど、学校は憎まれるための存在なんだ。僕だって、学校は大きらいなんだけど、でも、中学校だけでよそうとは思わなかったがなあ。」
「そうですね。」
ひとたまりも無かったのである。ああ、人生は単調だ!
五月一七日。月曜日。
晴れ。また蹴球をはじめている。きょうは、二中と試合をした。僕は前半に二点、後半に一点をいれた。結局、三対三。試合の帰りに、先輩と目黒でビイルを飲んだ。
自分が低能のような気がして来た。
五月三十日。日曜日。
晴れ。日曜なのに、心が暗い。春も過ぎて行く。朝、木村から電話。横浜に行かぬかというのだ。ことわる。午後、神田《かんだ》に行き、受験参考書を全部そろえた。夏休みまでに代数研究(上・下)をやってしまって、夏休みには、平面幾何の総復習をしよう。夜は、本棚《ほんだな》の整理をした。
暗澹《あんたん》。沈鬱《ちんうつ》。われ山にむかいて目をあぐ。わが扶助《たすけ》はいずこよりきたるや。
六月三日。木曜日。
晴れ。本当は、きょうから六日間、四年生の修学旅行なのだが、旅館でみんな一緒に雑魚寝《ざこね》をしたり、名所をぞろぞろ列をつくって見物したりするのが、とても厭《いや》なので、不参。
六日間、小説を読んで暮すつもりだ。きょうから漱石の「明暗」を読みはじめている。暗い、暗い小説だ。この暗さは、東京で生れて東京で育った者にだけ、わかるのだ。どうにもならぬ地獄だ。クラスの奴らは、いまごろ、夜汽車の中で、ぐっすり眠っているだろう。無邪気なものだ。
勇者は独り立つ時、最も強し。――(シルレル、だったかな?)
六月十三日。日曜日。
曇。蹴球部の先輩、大沢殿と松村殿がのこのこやって来た。接待するのが、馬鹿らしくてたまらない。蹴球部の夏休みの合宿が、お流れになりそうだ、大事件だ、と言って興奮している。僕は、ことしの夏休みは合宿に加わらないつもりだったから、かえって好都合なのだが、大沢、松村の両先輩にとっては、楽しみが一つ減ったわけだから、不平満々だ。梶《かじ》キャプテンが会計のヘマを演じて、合宿の費用を学校から取れなくなってしまったのだそうだ。松村殿は、梶を免職させなければいけないと、大いにいきまいていた。とにかく、みんな馬鹿だ。すこしも早く帰ってもらいたかった。
夜は、久し振りでお母さんの足をもんであげる。
「なにごとも、辛抱して、――」
「はい。」
「兄弟なかよく、――」
「はい。」
お母さんは二言目には、「辛抱して」と、それから「兄弟なかよく」を言うのである。
七月十四日。水曜日。
晴れ。七月十日から一学期の本試験がはじまっている。あす一日で、終るのだ。それから一週間|経《た》つと、成績の発表があって、それから、いよいよ夏休みだ。うれしい。やっぱり、うれしい。ああ、という叫びが、自然に出て来る。成績なんか、どうでもいい。今学期は理想的にもずいぶん迷ったから、成績もよほど落ちているかも知れない。でも国漢英数だけは、よくなっている積りだが、発表を見ないうちは、確言できない。ああ、もう、夏の休みだ。それを思うと、つい、にこにこ笑ってしまう。明日も試験があるというのに、なんだか日記を書きたくて仕様がない。このごろずいぶん日記をなまけた。生活に張り合いが無かったからだ。僕自身が、無内容だったからでしょうよ。いや、深く絶望したものがあるからでしょうよ。僕は、たいへん、ずるくなった。自分の思っている事を、むやみに他人に知らせるのが、いやになった。僕が今、どんな思想を抱いているか、あんまり他人に知られたくないのです。ただ一言だけ言える。「僕の将来の目標が、いつのまにやら、きまっていました。」あとは言わない。あすも試験があるのです。勉強、勉強。
一月四日。水曜日。
晴れ。元旦《がんたん》、二日、三日、四日は遊んで暮してしまった。昼も夜も、ことごとく遊びである。遊んでいたって、何もかも忘れて遊んでいるわけではなし、ああもう厭《いや》だな、面白《おもしろ》くねえや、などと思いながらも、つい引きずられて遊んでしまうのであるが、遊んだあとの淋《さび》しさと来たら、これはまた格別である。極度の淋しさである。勉強しようと、つくづく思う。この一箇月間、自分にはなんの進歩も無かったような気がする。たまらなく、あせった気持である。本当に、ことしこそ、むらのない勉強をしてみたい。去年は毎日毎日、ガタピシして、こわれかかった自動車に乗っているような落ちつかぬ気持で暮して来たが、ことしになって、何だか、楽しい希望も生れて来た
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