ような気がする。もうすぐそこに、手をのばせば、何だか暖い、いいものが掴《つか》めそうな気がして来た。
 十七歳。ちょっと憎々しい年《とし》である。いよいよ真面目《まじめ》になった気持である。急に、平凡な人間になったような気もする。もう、おとなになってしまったのかも知れない。
 ことしの三月には、入学試験もあるのだから緊張していなくてはいけない。やはり一高を受けるつもりだ。そうして、断然、文科だ! 去年、たぬきに二、三度やられてから、理科のほうはふっつり思い切ったのだ。兄さんも賛成してくれた。「芹川《せりかわ》の家には、科学者の血が無いからな。」と言って、笑っていた。さて、僕《ぼく》は、文科を選んだからって、兄さんほどの文科的才能が、あるかどうか、そいつは疑問である。だいいち僕には、一高英文科に入学できる自信がない。兄さんは、大丈夫、大丈夫と気軽に言うが、兄さんは自分で楽に入学できたものだから、他のひとも楽に入《はい》れるものと思っているらしい。兄さんは、人間にハンデキャップを認めていないらしい。みんな御自身と同じ能力を持っているものと思い込んでいるらしいのだ。だから、僕にも時々、とても無理な事を平気で言いつける事がある。無意識に惨酷《ざんこく》な事を、おっしゃいます。やっぱり、お坊ちゃんなのかも知れない。僕は、どうも一高は、にがてだ。たぶん落ちるだろう。落ちたら私立のR大学へでもはいるつもりだ。中学の五年に残る気はしない。もう一年、たぬきなどにからかわれるくらいなら、死んだほうがいい。R大学は、キリスト教の学校だから、聖書の事も深く勉強できてたのしいだろうと思う。あかるい学校のような気がする。
 一日、二日はゼスチュア遊びをして、はじめは面白かったが、二日には、全然いやになって、鎌倉《かまくら》の圭《けい》ちゃんの発案で、兄さん、新宿のマメちゃん、僕と四人で「父帰る」の朗読をやった。やっぱり僕が、断然うまかった。兄さんの「父親」は、深刻すぎて、まずかった。三日には、高尾山《たかおさん》へ、以上の四人で冬のハイキングを決行した。寒いのには閉口した。僕はひどく疲れて、帰りの電車では、兄さんの肩によりかかって眠ってしまった。圭ちゃん、マメちゃんの御両所は、ゆうべも家《うち》へ泊った。
 きょうは、御両所のお帰りのあとで、木村と佐伯《さえき》が遊びに来た。もうこんな、つまらない中学生とは遊ばない決心をしていたのであるが、やはり遊んでしまった。トランプ。ツウテンジャック。木村の勝負のしかたが、あまりにも汚いので呆《あき》れた。木村は、去年の暮に、家から二百円持ち出して、横浜、熱海《あたみ》と遊びまわり、お金を使い果してから、ぼんやり僕の家へやって来たので、僕は木村の家へ、すぐに電話をかけて知らせてやった。木村の家では警察に捜査願いを出していたのだそうだ。彼の家では、いまは僕が大恩人という事になっているとの事である。木村の家庭もわるいようだが、木村も馬鹿である。やっぱり、ただの不良である。ニイチェが泣きますよ。佐伯だって馬鹿だ。このごろ、つくづくいやになって来た。大ブルジョアの子供で、背丈は六尺ちかく、ひょろひょろしている。からだが弱いから中学だけで、学校はよすのだそうだ。はじめは外国文学の話など、いろいろ僕に話して聞かせるので、僕も、木村のニイチェに興奮した時みたいに、大いに感激して僕の友人は佐伯ひとりだと思い、すすんでこちらからも彼の家に遊びに行ってやったものだが、どうも彼は柔弱でいけない。家にいる時は、五つか六つの子供が着るような大きい絣《かすり》の着物を着て、ごはんの事を、おマンマなんて言いやがる。ぞっとした。だんだん附《つ》きあってみるに従って、話が合わなくなって来た。男か女かわかりゃしない。べろべろしている。よだれでも垂れているような顔だ。からだが弱いので、大学へは行かず、家で静かに芹川君と交際しながら一緒に文学を勉強して行きたい、などと殊勝らしく、こないだも言っていたが、まっぴら御免だ。「まあ考えたほうがいいぜ。」と言って置いた。
 木村と佐伯のお相手をしていたら、日が暮れた。一緒にお餅《もち》をたべた。二人が帰ると、こんどは、チョッピリ女史の御入来だ。げっそりした。この女史は、お父さんの妹である。だから僕たちの叔母さんである。芳紀まさに四十五、だか六だか、とにかく相当なとしである。未婚である。お花の大師匠である。なんとか婦人会の幹事をしている。兄さんは、チョッピリ女史を芹川一族の恥だと言っている。わるい人ではないが、どうも、少しチョッピリなのである。チョッピリという名は、兄さんが去年発明したのである。姉さんの結婚|披露宴《ひろうえん》の時、この叔母さんは兄さんと並んで坐《すわ》っていた。よその紳士が、叔母さんにお酒をすすめた。女史はからだを、くねくねさせて、
「あの、いただけないんざますのよ。」
「でも、まあ、一ぱい。」
「オホホホホ。ではまあ、ほんのチョッピリ!」
 いやらしい! 兄さんは、あまりの恥ずかしさに席を蹴《け》って帰りたかったそうだ。一事は万事である。どうも、気障《きざ》ったらしくてかなわない。今夜も僕の顔を見て、
「あらまあ! 進ちゃん、鼻の下に黒い毛が生えて来たじゃないの! しっかりなさいよ。」と言った。愚劣だ。実に不潔だ。乱暴だ。無態だ。まさしく一家の恥である。同席は、ごめんである。こっそり兄さんと、うなずき合って、一緒に外出した。銀座は、ひどい人出《ひとで》である。みんな僕たちみたいに家が憂鬱《ゆううつ》だから、こうして銀座へ出て来ているのであろうか、と思ったら、おそろしい気がした。資生堂でコーヒーを飲みながら兄さんは、「芹川の家には、淫蕩《いんとう》の血が流れているらしい。」と呟《つぶや》いたので、ぎょっとした。帰りのバスの中では、「誠実」という事に就いて話し合った。兄さんも、このごろは、くさっているらしい。姉さんがいなくなったので、家の仕事も見なければならず、小説も思うようにすすまないようだ。
 帰ったら十一時。チョッピリ女史は、すでに退散。
 さて、明日からは高邁《こうまい》な精神と新鮮な希望を持って前進だ。十七歳になったのだ。僕は神さまに誓います。明日は、六時に起きて、きっと勉強いたします。


 一月五日。木曜日。
 曇天。風強し。きょうは、何もしなかった。風の強い日は、どうもいけない。御起床が、すでに午後一時であった。去年よりも、さらにだらしが無くなったような気がする。起きてまごまごしていたら、いまは下谷《したや》に家を持っている姉さんから僕に電話だ。「あそびにいらっしゃい。」というのだが、僕は困惑した。例の優柔不断の気持から、「うん」と答えてしまった。僕は、本当は、鈴岡さんの家がきらいなのだ。どうも俗だ。姉さんも、変ってしまった。結婚して、ほどなく家へ遊びにやって来たが、もう変っていた。カサカサに乾いていた。ただの主婦《おかみ》さんだ。ふくよかなものが何も無くなっていた。おどろいた。あれはお嫁に行ってから十日と経《た》たない頃《ころ》の事であったが、手の甲がひどく汚くなっていた。それから、いやに抜け目がなく、利己的にさえなっていた。姉さんは隠そうと努めていたが、僕には、ちゃんとわかったのだ。いまではもう全く、鈴岡の人だ。顔まで鈴岡さんに似て来たようだ。顔といえば、僕は俊雄《としお》君の顔を考えるたびに、しどろもどろになるのである。俊雄君は、鈴岡さんの実弟だ。去年、田舎の中学を出て、いまは姉さんたちと同居して慶応の文科にかよっているのだ。こんな事を言っちゃ悪いけれど、この俊雄君は、僕が今までに見た事もない醜男《ぶおとこ》なのだ。実に、ひどいんだ。僕だって、ちっとも美しくないし、また、ひとの顔の事は本当に言いたくないのだが、俊雄君の顔は、あまりにもひどいので、僕は、しどろもどろになってしまうのだ。鼻がどうの、口がどうのというのではないのだ。全体が、どうも、ばらばらなのだ。ユウモラスなところも無い。僕はあの人と顔を合せると、いつでも奇妙に考え込んでしまう。一万人に一人というところなのだ。こんな言いかたは、僕自身も不愉快だし、言ってはいけない事なんだが、どうも事実だから致しかたが無い。あんな顔は、僕は生れてはじめて見た。男は顔なんて問題じゃない、精神さえきよらかなら大丈夫、立派に社会生活ができるという事は、僕も堅く信じているが、俊雄君のように若くて、そうして慶応の文科のような華やかなところで勉強している身が、あんな顔では、ずいぶん苦しい事だってあるだろうと思う。実際、顔を合せると、こちらまで人生がいやになるくらいなのだ。本当に、ひどいのだ。あの人は、これからの永い人生に於《おい》ても、その先天的なもののために、幾度か人に指さされ、かげ口を言われ、敬遠せられる事だろう。僕はそれを考えると、現代の社会機構に対して懐疑的になり、この世が恨めしくなって来るのだ。世の中の人々の冷酷な気持が、いやになる。おのずから義憤も感ずる。俊雄君が、将来それ相当の職業について、食うに困らぬくらいの生活が出来たら、それは実に好もしく祝福すべき事だ。けれども結婚の場合は、どうだろう。これはと思う婦人があっても、自分の醜い顔のために結婚できなかった時には、どんなに悲惨な思いをするだろう。大声で、うめくだろう。ああ、俊雄君の事を考えると憂鬱だ。心の底から同情はしているけれど、どうも、いやだ。ひどいんだ。何も形容が出来ないのである。なるべく見たくないのだ。僕にもやっぱり、世の中の人と同じ様な、冷酷で、いい気なものがあるのかも知れない。考えれば考えるほど、しどろもどろになってしまう。僕は、去年からまだ下谷の家には、二度しか行っていないのだ。姉さんには逢《あ》いたいけれど、旦那《だんな》さまの鈴岡氏は、また、えらく兄さん振って、僕の事を坊や、坊やと呼ぶんだから、かなわない。豪傑肌《ごうけつはだ》とでも言うんだろうが、「坊や」は言い過ぎであると思う。十七にもなって、「坊や」と呼ばれて、「はい」なんて返事するのは、いやなことだ。返事をしないでプリプリ怒ってやろうかとも思うのだが、なにせ相手は柔道四段だそうだから、やはり怖い。自然に僕は、卑屈になるのだ。俊雄君と顔を合せると、しどろもどろになるし、鈴岡氏に対しては、おどおどするし、僕は、下谷の家へ行くと、だめになるのだ。きょうも姉さんから、遊びに来ないか、と言われて、つい、うんと答えてしまったが、それから、さんざ迷った。どうしても、行きたくないのだ。とうとう兄さんに相談した。
「下谷から、遊びに来いって言って来たんだけど、行きたくないんだ。こんな風の強い日に、ひでえや。」
「でも、行くって返事したんだろ?」兄さんは、少し意地が悪い。僕の優柔不断を見抜いているのだ。「行かなくちゃいけない。」
「あいたた! にわかに覚ゆる腹痛。」
 兄さんは笑い出した。
「そんなにいやなら、はじめから、はっきり断ったらよかったのに。むこうじゃ待っているぜ。お前は四方八方のいい子になりたがるからいけない。」
 とうとう説教されちゃった。僕は説教は、いやだ。兄さんの説教でも、いやだ。僕は今まで、説教されて、改心した事が、まだいちどもない。お説教している人を、偉いなあと思った事も、まだ一度もない。お説教なんて、自己陶酔だ。わがままな気取りだ。本当に偉い人は、ただ微笑してこちらの失敗を見ているものだ。けれどもその微笑は、実に深く澄んでいるので、何も言われずとも、こちらの胸にぐっと来るのだ。ハッと思う、とたんに目から鱗《うろこ》が落ちるのだ。本当に、改心も出来るのだ。説教は、どうもいやだ。兄さんの説教でも、いやだ。僕は、むくれてしまった。
「はっきり断ったらいいんでしょう?」と言って、やや殺気立って下谷へ電話をかけたら、いけねえ、鈴岡氏が出て、
「坊やかい? 新年おめでとう。」
「はい、おめでとう。」なにせ柔道四段だからなあ。
「姉《ねえ》ちゃんが待ってるぜ。早くおいでよ。」姉ちゃんだなんて言いやがる
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