りのクラスに行き、一時間だけ貸してくれるように、三人の学生にたのんだけれど、どの学生も、へんに、にやにや笑って、そうして返事さえしない。僕は、ぎょっとした。貸すのは、いやだとか困るとか、そんなはっきりした気持でもないらしい。ただ、そんな法はないよ、というような、白痴的な利己主義らしい。困っている人に貸すという経験が、生れた時から一度もなかったようなふうである。そんな人には、いくらたのんだって、埒《らち》が明かない。ひどいものだと思った。もう絶対に、学生には、ものをたのむまいと思った。僕は教練を欠席して、そのまま家へ帰った。
 あの蹴球部の本科生と言い、けさの教室の、あさましい馬鹿騒ぎと言い、となりのクラスの学生たちと言い、実に見事なものだ。きょうは僕は、ずたずたに切られた。でも、「まあ、いい」と僕は思っている。僕には、僕の道があるのだ。それを、まっすぐに追究して行けばいいのだ。
 僕は、今夜、兄さんにお願いした。
「もう学校の様子も、だいたいわかったから、そろそろ本格的に演劇の勉強をはじめたいと思っているんだけど、兄さん、早くいい先生のところへ連れて行ってね。」
「今夜は、ひどく真面目《まじめ》に考え込んでいると思ったら、その事か。よし。あした、津田さんのところへ行って相談してみよう。どんな先生がいいのか、とにかく津田さんのところへ行って、聞いてみようよ。あした一緒に行こう。」兄さんは、きのうから、とても機嫌がよい。
 あすは天長節である。何か、僕の前途が祝福されているような気がした。津田さんというのは、兄さんの高等学校時代の独逸《ドイツ》語の先生で、いまは教職を辞して小説だけを書いて生活している。兄さんは、このひとに作品を見てもらっているのだ。
 夜はおそくまで、部屋の整頓《せいとん》。机の引出の中まで、きれいに片づけた。読み終った本と、これから読む本とを選《よ》りわけて、本棚を飾り直した。額《がく》の絵も、ピエタのかわりに、ダヴィンチの自画像をいれた。意志的に強いものが欲しかったからだ。鵝《が》ペンを捨てた。少女趣味を排除したかったのだ。ギタは、押入れにしまい込んだ。ずいぶん、サッパリした気持である。ことしの春は、一生涯、あざやかな思い出となって残るような気がする。


 四月二十九日。土曜日。
 日本晴れ。きょうは天長節である。兄さんも僕も、きょうは早く起きた。静かな、いいお天気である。兄さんの説に依《よ》ると、昔から、天長節は必ずこんなに天気がいい事にきまっているのだそうである。僕はそれを、単純に信じたいと思った。
 十一時頃一緒に家を出て、途中、銀座に寄って、姉さんの結婚一周年記念のお祝い品を買った。兄さんはグラスのセット。下谷《したや》へ遊びに行った時、このグラスで鈴岡さんと葡萄酒《ぶどうしゅ》を飲もうという下心。僕は、上等のトランプ一組。下谷へ遊びに行った時、姉さんと俊雄君と三人で此のトランプで遊ぼうという下心。どちらも、自分がこれから下谷へ行っても、充分に楽しめるように計画して買うのだから、ちゃっかりしている。グラスもトランプも、店から直接に下谷へ送ってもらうように手筈《てはず》した。
 昼御飯をオリンピックで食べて、それから本郷《ほんごう》の津田さんを訪れた。僕は、中学へはいったとしの春に、いちど兄さんに連れられて、津田さんのお家《うち》へ遊びに行った事がある。その時、玄関にも廊下にもお座敷にも、本がぎっしりなので驚いた。
「これを、みんなお読みになったの?」と僕が無遠慮に尋ねたら、津田さんは笑って、
「とても読めるもんじゃないよ。でもこうして並べて置くと、必ず読む時が来るものだ。」と明快に答えたのを、記憶している。
 津田さんは在宅だった。相変らず、玄関にも廊下にもお座敷にも、本がぎっしり。少しも変っていない。津田さんも、四年前とおなじだ。もう五十ちかい筈なのに、少しも老《ふ》けた気配が無い。相変らず、甲高い声で、よくしゃべって、よく笑う。
「大きくなったね。男っぷりもよくなった。R大? 高石君は元気かね。」高石というのは、R大の英語の講師である。
「ええ、いま僕たちに、サムエル・バトラのエレホンを教えているんですけど、なんだか、煮え切らない人ですね。」と僕が思ったままを言ったら、津田さんは眼を丸くして、
「口が悪いね。いまからそんなんじゃ、末が思いやられるね。毎日兄さんと二人で、僕たちの悪口を言ってるんだろう。」
「まあ、そんなところです。」と兄さんは笑いながら言って、「弟は、はじめから、R大を卒業する気はないらしいんです。」
「君の悪影響だよ、それは。何も君、弟さんまで君の道づれにしなくたって、いいじゃないか。」津田さんも笑いながら言っているのである。
「ええ、全く僕の責任なんです。役者になりたいって言うんですが、――」
「役者? 思い切ったもんだねえ。まさか、活動役者じゃないだろうね。」
 僕は、うつむいて二人の会話を拝聴していた。
「映画です。」と兄さんは、あっさり言った。
「映画?」津田さんは奇声を発した。「それぁ君、問題だぜ。」
「僕もずいぶん考えたんですけど、弟は、ひどく苦しくなると、きまって、映画俳優になろうと決心するらしいんです。子供の事ですから、そこに筋道立った理由なんか無いのですが、それだけ宿命的なものがあるんじゃないかと僕は思ったんです。気持の楽な時、うっとり映画俳優をあこがれるなんてのは、話になりませんけど、いのちの瀬戸際《せとぎわ》になると、ふっと映画俳優を考えつくらしいのですが、僕は、それを神の声のように思っているのです。そいつを信じたいような気がするんです。」
「そう言ったって君、親戚《しんせき》や何かの反対もあるだろうし、とにかく問題だねえ、それは。」
「親戚の反対やなんかは、僕がひき受けます。僕だって、学校は中途でよしてしまうし、それに小説家志願と来ているんですから、もう親戚の反対には馴《な》れたものです。」
「君が平気だって、弟さんが、――」
「僕だって平気です。」と僕は口を挟《はさ》んだ。
「そうかねえ。」と津田さんは苦笑して、「たいへんな兄弟もあったものだ。」
「どうでしょうか。」兄さんは、かまわず、どしどし話をすすめる。「演劇のいい先生が無いでしょうか。やっぱり、五、六年は基本的な勉強をしなければいけないと思いますし、――」
「それはそうだ。」津田さんは、急に勢いづいて、「勉強しなけれぁいかん。勉強しなけれぁ。」
「だから、いい先生を紹介して下さい。斎藤市蔵氏は、どうでしょうか。弟も、あの人を尊敬しているようですし、僕もやはりあんなクラシックの人がいいと思うんですけど、――」
「斎藤さんか?」津田さんは首をかしげた。
「いけませんか。津田さんは、斎藤市蔵氏とはお親しいんでしょう?」
「親しいってわけじゃないけど、なにせ僕たちの大学時代からの先生だ。でも、いまの若い人たちには、どうかな? それは紹介してあげてもいいよ、だけど、それからどうするんだ。斎藤さんの内弟子にでもはいるのかね。」
「まさか。まあ、演劇するものの覚悟などを、時たま拝聴に行く程度だろうと思いますけど、まず、どの劇団がいいか、そんな事も伺いたいのでしょう。」
「劇団? 映画俳優じゃないのかね。」
「映画俳優は、サンボルですよ。それの現実にこだわっているわけじゃないんです。とにかく日本一、いや、世界一の役者になりたいんですよ。」兄さんは、僕の気持をそのまま、すらすら言ってくれる。僕には、とてもこんなに正確に言えない。「だからまず、斎藤氏の意見なども聞いて、いい劇団へはいって五年でも十年でも演技を磨《みが》きたいという覚悟なのです。あとは映画に出ようが、歌舞伎《かぶき》に出ようが、問題ではないわけです。」
「ばかに手まわしがいいね。あながち、春の一夜の空想でもないわけなんだね?」
「冗談じゃない。僕が失敗しても、弟だけは成功させたいと思っているんです。」
「いや、二人とも成功しなければいかん。とにかく勉強だ。」と大声で言って、「君たちは、いまのところ暮しの心配もないようだから、まあ気長にみっちりやるんだね。めぐまれた環境を無駄《むだ》にしてはいかん。だけど、役者とは、おどろいたなあ。とに角それじゃ斎藤さんに、紹介の手紙を書きましょう。持って行ってみなさい。頑固《がんこ》な人だからね、玄関払いを食うかも知れんぞ。」
「その時には、また、もう一度、津田さんに紹介状を書いていただきます。」兄さんは、すまして言う。
「芹川も、いつのまにやら図々《ずうずう》しくなってしまいやがった。この図々しさが、作品にも、少し出るといいんだがねえ。」
 兄さんは、急にしょげた。
「僕も十年計画で、やり直すつもりです。」
「一生だ。一生の修業だよ。このごろ作品を書いているかね?」
「はあ、どうもむずかしくて。」
「書いていないようだね。」津田さんは溜息《ためいき》をついた。「君は、日常生活のプライドにこだわりすぎていけない。」
 冗談を言い合っていても、作品の話になると、流石《さすが》にきびしい雰囲気《ふんいき》が四辺に感ぜられた。本当に佳《よ》い師弟だと思った。紹介状を書いていただいて、おいとまする時、津田さんが、玄関まで見送って来られて、
「四十になっても五十になっても、くるしさに増減は無いね。」とひとりごとのように呟《つぶや》いた言葉が、どきんと胸にこたえた。
 作家も、津田さんくらいになると、やっぱり違ったところがあると思った。
 本郷の街を歩きながら、兄さんは、
「どうも本郷は憂鬱《ゆううつ》だね。僕みたいに、帝大を中途でよした者には、この大学の建物《たてもの》は恐怖の的だ。何だかこっちが、卑屈になってやり切れない。犯罪者みたいな気がして来るんだ。上野へでも行ってみるか。本郷は、もうたくさんだ。」と言って淋しそうに笑った。津田さんから、ちょっとお説教されたので、なおいっそう淋しいのかも知れない。
 僕たちは上野へ出て、牛鍋《ぎゅうなべ》をたべた。兄さんは、ビールを飲んだ。僕にも少し飲ませた。
「でもまあ、よかった。」兄さんは、だんだん元気になって来て、「僕もきょうは、一生懸命だったんだぜ。とうとう津田さんも、紹介状を書いてくれたんだから、大成功だ。津田さんは、あれでなかなか、つむじ曲りのところがあってね、ちょっと気持にひっかかるものが出来ると、もうだめなんだ。こんりんざい、だめだね。ちっとも油断が出来ないんだ。きょうは、よかった。不思議にすらすら行ったね。進の態度がよかったのかな? 津田さんは、あんな冗談ばかり言ってるけど、ずいぶん鋭く人を観察しているからね。うしろにも目がついているみたいだ。進はまあ、どうやら及第したんだね。」
 僕は、にやにや笑った。
「安心するのは、まだ早いぞ。」兄さんは、少し酔ったようだ。声が必要以上に高くなった。「これから斎藤氏という難関もある。なかなかの頑固者らしいじゃないか。津田さんも、ちょっと首をかしげていたね? まあ、誠実をもってあたってみるさ。紹介状、持ってるだろう? ちょっと見せてくれ。」
「見てもいいの?」
「かまわない。紹介状というものはね、持参の当人が見てもかまわないように、わざと封をしていないものなんだ。ほら、そうだろう? 一応こっちでも眼をとおして置いたほうがいいんだよ。読んでみよう。いや、これぁ、ひどいなあ。簡単すぎるよ。こんな程度で大丈夫なのかなあ。」
 僕も読んでみた。ばかに簡単である。友人、芹川進君を紹介します、先生の御指南を得たい由《よし》にて云々《うんぬん》という大まかな文章である。具体的な事柄《ことがら》には一つも触れていない。
「これでいいのかしら。」僕は、心細くなって来た。前途が、急に暗くなったような気がして来た。
「いいんだろうよ。」兄さんにも、自信が無いらしい。「でも、ここに、友人、芹川進君と書いてあるが、この、友人、というところが泣かせどころなのかも知れない。」いい加減な事ばかり言っている。
「ごはんにしようか。」僕は、しょげてし
前へ 次へ
全24ページ中13ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング