まった。
「そうしよう。」兄さんも興覚め顔である。
 それからは、あまり話もはずまなかった。
 その店から出た頃は、もう日も暮れていた。兄さんは、すぐちかくの鈴岡さんの家へちょっと寄って行こうと言うのだが、僕は、明日すぐ斎藤氏を訪れてみるつもりなんだから、斎藤氏に試問されてもまごつかないように、きょうは早く家へ帰って、演劇の本をあれこれ読んで置きたかったので、結局は兄さんひとり、下谷の家へ行く事になって、僕は広小路《ひろこうじ》でわかれて麹町へ帰った。
 今は、夜の十時である。兄さんは、まだ帰らない。下谷で鈴岡さんと飲んでいるのかも知れない。兄さんも、この頃は、すっかり酒飲みになってしまった。小説もあまり書かない。けれども、僕は兄さんをあくまでも信じている。いまに、きっと素晴らしい傑作を書くだろう。とにかく、ただものでないんだから。
 さっきから僕は、斎藤氏の自叙伝「芝居街道五十年」を机の上にひろげているのだが、一ペエジもすすまない。いろんな空想で、ただ胸が、わくわくしているのである。へんに、不愉快なほどの緊張だ。これから、いよいよ現実生活との取っ組合いがはじまるのだ。男一匹が、雄々しく闘って行く姿! もう胸が一ぱいになってしまう。あすの会見は、うまく行くかしら。こんどは僕ひとりで行くのだ。誰《だれ》の助力もない。あんな簡単な紹介状では、たいした効果も期待できない。結局、僕ひとり、誠実を披瀝《ひれき》して、僕の希望を述べなければならぬ。ああ心配だ。神さま、僕を守って下さい。玄関払いなどされないように。斎藤氏って、どんな爺《じい》さんだろう。案外、好々爺《こうこうや》で、おうよく来たね、と目を細めて、いやいや、そんな筈はない。甘く考えてはいけない。いやしくも日本一の劇作家だ。きっと、眼がらんらんと光り、腕力なども強いだろう。でも、まさか殴りゃしないだろう。もし殴ったら、僕だって承知しない。猛然と反撃を加えてやる。すると彼は、小僧でかした、その意気じゃ、と言って入門をゆるすという事になる。そんな映画を見た事があった。あれは、宮本武蔵《みやもとむさし》の映画だったかな? ああ、空想は果《はて》しない。とにかくあすの会見の次第に依っては、僕の生涯《しょうがい》の恩師が確定されるかも知れないのだ。実に、重大な日である。今夜は僕は、どうしたらいいのだろう。本を読もうと思っても一ペエジも一行も、頭にはいらない。寝よう。それが一ばんいいようだ。寝不足の顔で出かけて行って、第一印象を悪くしては損である。でも、とても眠れそうにもない。外では、工夫《こうふ》の夜業がはじまった。考えてみれば、夜の十時から朝の六時頃まで、毎日のようにやっている。約八時間の激しい労働である。エッサエッサと掛け声をかけてやっている。何をしているのだろう。マンホールからガス管でも、ひっぱり出しているのだろうか。あの掛け声は、兄さんの説に依れば、工夫自身の、ねむけざましになっているんだそうだ。そう思って聞くと、あの掛け声も、ひどく哀れに聞えて来る。いくら貰《もら》っているのかしら?
 聖書を読みたくなって来た。こんな、たまらなく、いらいらしている時には、聖書に限るようである。他の本が、みな無味乾燥でひとつも頭にはいって来ない時でも、聖書の言葉だけは、胸にひびく。本当に、たいしたものだ。
 いま聖書を取り出して、パッとひらいたら、次のような語句が眼にはいった。
「我は復活《よみがえり》なり、生命《いのち》なり、我を信ずる者は死ぬとも生きん。凡《およ》そ生きて我を信ずる者は、永遠《とこしえ》に死なざるべし。汝《なんじ》これを信ずるか。」
 忘れていた。僕は信ずる事が薄かった。何もかも、おまかせして、今夜は寝よう。僕はこのごろお祈りをさえ怠っていた。
 御意《みこころ》の天のごとく、地にも行われん事を。


 四月三十日。日曜日。
 晴れ。朝十時、兄さんに門口まで見送られて、出発した。握手したかったのだけれど、大袈裟《おおげさ》みたいだから、がまんした。一高を受ける時も、R大を受ける時も、こんなに緊張していなかった。R大の時など、その朝になって、はじめてはっと気附《きづ》いて、あわてて出発したくらいであった。
 人生の首途《かどで》。けさは、本当にそんな気がした。途中、電車の中で、なんども涙ぐんだ。そうして昼ごろ、ぼんやり家へ帰って来た。なんだか、へとへとに疲れた。
 芝の斎藤氏邸は、森閑としていた。平家《ひらや》の奥深そうな家であった。玄関のベルを、なんど押しても、森閑としている。猛犬でも出て来るんじゃないかと、びくびくしていたが、犬ころ一匹出て来る気配さえ無い。まごまごしていたら、庭の枝折戸《しおりど》から、
「ま! おどろいた。」と言って真赤な帯をしめた少女があらわれた。女中のようでもないし、まさか令嬢でもないだろう。気品が足りない。
「先生は御在宅ですか。」
「さあ。」あいまいな返事である。ただ、にこにこ笑っている。少し蓮《はす》っ葉《ぱ》だけど、感じはそんなに悪くない。親戚《しんせき》の娘さん、とでもいったところかも知れない。
「紹介状を持って来ましたけど。」
「そうですか。」娘さんは素直に紹介状を受け取った。「少しお待ち下さい。」
 まずよし、と僕は、ほくそ笑んだ。それからがいけなかった。しばらくして娘さんが、また庭のほうからやって来て、
「ご用は、なんでしょうか。」
 これには困った。簡単には言えない。まさか紹介状の文句のとおりに、「御指南を受けに来ました。」とも言えない。それでは、まるで剣客みたいだ。もじもじしているうちに、カッと癇癪《かんしゃく》が起って来た。
「いったい先生は、いらっしゃるのですか。」
「いらっしゃいます。」にこにこ笑っている。たしかに僕を馬鹿にしているようである。あまく見ている。
「紹介状をごらんにいれましたか。」
「いいえ。」けろりとしている。
「なあんだ。」僕は、この家全体を侮辱してやりたいような気がした。
「お仕事中ですの。」いやに子供っぽい口調で言う。舌が短いのではないかと思った。ひょいと首をかしげて、「またいらっしゃいません?」
 ていのいい玄関払いだ。その手に乗ってたまるものか。
「いつごろ、おひまになりますか。」
「さあ、二、三日たったら、どうでしょうかしら。」すこしも要領を得ない。
「それでは、」僕は胸を張って言った。「五月三日の今ごろ、またお伺い致します。その時は、よろしくお願いします。」屹《き》っと少女をにらんでやった。
「はあ。」と、たより無い返事をして、やはり笑っている。狂女ではなかろうかと、ふと思った。
 要するに、一つとして収穫が無かった。僕は、ぼんやりした顔をして家へかえった。なんだか、ひどく疲れて、兄さんに報告するのも面倒くさくてかなわなかった。兄さんは、いちいちこまかいところまで、僕に尋ねる。
「その女は何者かというのが、問題だ。いくつくらいだったね? 綺麗《きれい》なひとかい?」
「わからんよ僕には。狂女じゃないかと思うんだけど。」
「まさか。それはね、やっぱり女中さんだよ。秘書を兼ねたる女中、というところだ。女学校は卒業してるね。だからもう、十九、いや二十《はたち》を越えてるかも知れん。」
「こんど、兄さんが行ったらいい。」
「場合に依っては、僕が行かなくちゃならないかも知れないが、まだ、その必要は無いようだ。お前は、そんなにしょげてるけど、きょうは、ちっとも失敗じゃなかったんだよ。お前にしては大出来だ。五月三日にまた来る、とはっきり言って来ただけでも大成功だよ。その女のひとは、お前に好意を持っているらしい。」
 僕は、噴き出した。
「いや本当さ。」兄さんは真面目《まじめ》である。「ふつうの玄関払いとは性質が、ちがうようだ。脈があるよ。お仕事中は面会謝絶と極《きま》っているんだけど、特にお前のために、どうにかして取りついであげようと思ったんだが、奥さんか誰かに邪魔されて、それが出来なかったんだな。」兄さんの解釈は、どうも甘い。「きっとそうだよ。だからこんどはお前も、その女のひとを、にらんだりなんかしないで、も少しあいそよくしてあげるんだね。ちゃんとお辞儀をしてね。」
「しまった! きょうは帽子もとらない。」
「そうだろ。帽子もぬがずに、ただ、はったと睨《にら》んでいたんじゃ、ふつうだったら、まず交番に引渡されるところだ。その女のひとに理解があったから、たすかったのだ。来月の三日には、しっかりやるさ。」
 けれども僕は絶望している。芸術の道にも、普通のサラリイマンの苦労と、ちっとも違わぬ俗な苦労も要るだろうという事は、まえから覚悟していたところで、それくらいの事には、へこたれはせぬけれど、僕がきょう斎藤氏邸からの帰り道、つくづく僕自身の無名、矮小《わいしょう》を思い知らされて、いやになったのだ。斎藤氏と僕、あまりにも違いすぎていたのだ。こんなに、雲と雑草ほどの距離があるとは、気がつかなかったのだ。やあ、と声を掛ければ、やあ、と答えてくれそうな気がしていたのだ。なんたる無邪気さであろう。きょうは全く、あの人と僕たちとは、人種がまるで、別なのではないかというような気がしたのである。努めて及ばぬ事やある、という言葉もあるけど、どんなに努めても及ばぬ事も、この世にはあるのではあるまいかと思って、うんざりしてしまったのだ。「日本一」の理想が、ふっ飛んじゃった。偉くなろうという努力が、ばからしいものに見えて来た。僕には、斎藤氏のように、あんな堂々たる牙城《がじょう》は、とても作れそうもないんだ。
 夜は、兄さんに引っぱられて、ムーランルージュを見に行った。つまらなかった。少しも可笑《おか》しくなかった。


 五月三日。水曜日。
 晴れ。学校を休んで、芝の斎藤氏邸に、トボトボと出かける。トボトボという形容は、決して誇張ではなかった。実に、暗鬱《あんうつ》な気持であった。
 ところが、きょうは、あまり悪くなかった。いや、そんなにもよくない。でも、まあ、いいほうかも知れない。
 斎藤氏邸の門前には、自動車が一台とまっていた。僕が玄関のベルを押そうとしたら、急に玄関の内がさわがしくなって、がらりと玄関が内からあいて、痩《や》せた小さいお爺《じい》さんがひょいと出て、すたすた僕の前を歩いて行った。斎藤氏だ。その後を追うようにして、先日の女のひとが鞄《かばん》とステッキを持って玄関からあわてて出て来て、
「あら! いまおでかけのところなのよ。ちょうどいいわ、お話してごらんなさい。」
 僕は帽子をとって、ちょっとその女の人にお辞儀をして、それから、すぐに斎藤氏のあとを追って、
「先生!」と呼んだ。斎藤氏は、振り向きもせず、すたすた歩いて門前に待っている自動車にさっさと乗ってしまった。僕は、自動車の窓に走り寄って、
「津田さんからの紹介状、――」と言いかけたら、じろりろ僕を見て、
「乗りたまえ。」と低い声で言った。しめたと思ってドアを開け、斎藤氏のすぐ傍《そば》にどさんと腰をおろした。あっ、運転手の傍に乗るのが礼儀だったのかも知れない、と思ったが、わざわざ向うへ乗りかえるのも、てれくさくて、そのままの姿勢でじっとしていた。
「よござんしたね。」女のひとは、窓から鞄とステッキを斎藤氏に手渡しながら、「こないだは、ずいぶん怒ってお帰りになりましたのよ。」と相変らず上機嫌《じょうきげん》に笑いながら、僕と斎藤氏と二人の顔を見較《みくら》べながら言った。
 斎藤氏は、不機嫌そうに眉間《みけん》に皺《しわ》を寄せて、何も言わなかった。やっぱり、怖い感じだ。運転台に乗ればよかった、とまた思った。
「行ってらっしゃいまし。」
 自動車は走った。
「どちらへ、おいでになるんですか。」と僕は聞いた。斎藤氏は、返事をしなかった。五分も経《た》ってから、
「神田《かんだ》だ。」と重い口調で言った。ひどく嗄《しわが》れた声である。顔は、老俳優のように端麗《たんれい》である。また、しばらくは無言だ。ひどく窮屈である。圧迫が刻一刻と加わって来て
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