がりの、だらだら日記は、やめるがいい。無の生活を、どんなに反省しても、整頓《せいとん》しても、やっぱり無である。それを、くどくど書いているのは、実に滑稽《こっけい》である。お前の日記は、もう意味ないぞ。
「吾人《ごじん》が小過失を懺悔《ざんげ》するは、他に大過失なき事を世人に信ぜしめんが為《ため》のみ。」――ラ・ロシフコオ。
ざまあ見やがれ!
あさってから、第三学期がはじまります。
張り切って、すすめ!
四月一日。土曜日。
うす曇り。烈風なり。運命的な日である。生涯《しょうがい》、忘れ得べからざる日である。一高の発表を見に行った。落ちていた。胃と腸が、ふっと消えたような感じ。体内が、空《から》っぽになった感じ。残念、という感じではない。ただ、ホロリとした。進が、ふびんだった。でも、落ちて当然のような気もした。
家へかえりたくなかった。頭が重くて、耳がシンシン鳴って、のどが、やたらに乾《かわ》く。銀座へ出た。四丁目の角に立って、烈風に吹かれながらゴー・ストップを待っていたら、はじめて涙が出た。声が出そうになった。無理もねえさ、生れてはじめての落第だもの、と思ったら、とても
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