、兄さんは、
「ほしいか?」と言った。
「ほんと?」と僕が、こわいような気がして、兄さんの顔色をうかがったら、兄さんは黙って店へはいって行って買ってくれた。
 兄さんは、僕の十倍も淋《さび》しいのだ。


 五月二日。日曜日。
 雨のち晴れ。日曜だというのに、めずらしく八時に起きた。起きてすぐ、ギタを、布《きれ》で磨《みが》いた。いとこの慶ちゃんが遊びに来た。商大生になってから、はじめての御入来である。新調の洋服が、まぶしいくらいだ。
「人種が、ちがったね。」とお世辞を言ってやったら、えへへ、と笑った。だらしのねえ奴だ。商大へはいったからって、人種がちがってたまるものか。赤縞《あかじま》のワイシャツなどを着て、妙に気取っている。「体《からだ》は衣《ころも》に勝《まさ》るならずや」とあるを未だ読まぬか。
「ドイツ語がむずかしくってねえ。」などとおっしゃる。へえへえ、さようでござんすか。大学生ともなれば、やっぱり、ちがったもんですねえ。むしゃくしゃして来て、僕は、ギタをひいてばかりいた。銀座へ、さそわれたけれど、断る。
 僕は、いま、少しも勉強していない。何もしていない。Doing not
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