ムは、もう無いのだ。筋張《すじば》った、意地悪のリアリストだ。変ったなあ。
黒いソフトをかぶって、背広を着た少年。おしろいの匂《にお》いのする鞄《かばん》をかかえて、東京駅前の広場を歩いている。これがあの、十六歳の春から苦しみに苦しみ抜いた揚句の果に、ぽとりと一粒結晶して落ちた真珠の姿か。あの永い苦悩の、総決算がこの小さい、寒そうな姿一つだ。すれちがう人、ひとりとして僕の二箇年の、滅茶苦茶《めちゃくちゃ》の努力には気がつくまい。よくも死にもせず、発狂もせずに、ねばって来たものだと僕は思っているのだが、よその人は、ただ、あの道楽息子も、とうとう役者に成りさがった、と眉《まゆ》をひそめて言うだろう。芸術家の運命は、いつでも、そんなものだ。
誰か僕の墓碑に、次のような一句をきざんでくれる人はないか。
「かれは、人を喜ばせるのが、何よりも好きであった!」
僕の、生れた時からの宿命である。俳優という職業を選んだのも、全く、それ一つのためであった。ああ、日本一、いや、世界一の名優になりたい! そうして皆を、ことにも貧しい人たちを、しびれる程に喜ばせてあげたい。
十二月二十九日。金曜日。
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