尊い犠牲者であった。姉さんの青春は、家事とそれからお母さんの看病で終ってしまった、と言っても過言ではなかろう。しかしながら、この永い忍苦は、姉さんにとって、決して無駄《むだ》ではなかったと思う。姉さんは、僕たちと比較にならぬほど、深い分別《ふんべつ》をお持ちになったに違いない。忍苦は、人間の理性を磨《みが》いてくれるものだ。姉さんの瞳《ひとみ》は、このごろとても綺麗《きれい》に澄んでいる。結婚が近づいても、気障《きざ》にはしゃいだり、お調子に乗ったりしないから、偉い。平静な気持で、結婚生活にはいるらしい。相手の鈴岡《すずおか》さんも、もう四十ちかい重役さんだ。柔道四段だそうだ。鼻が丸くて赤いのが、欠点だけれど、親切な人らしい。僕は好きでもなければ、きらいでもない。どうせ、他人だ。けれども、こんな義兄があると何かにつけて心強いものだと、兄さんが言っていた。そんなものかも知れない。でも僕は、義兄の世話になどは、ならぬつもりだ。僕は、ただ、姉さんの幸福を、ひたすら祈っているばかりである。姉さんがいなくなったら、家の中が、どんなに淋《さび》しくなるだろう。火が消えたようになるかも知れない。けれ
前へ
次へ
全232ページ中19ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング