れていないのだ。僕は此《こ》の事件に就いては、しばらく傍観者の立場をとり、内々、真相をスパイするように努めようと思う。僕の考えでは、どうも、チョッピリ女史が、くさい。かれを折檻《せっかん》したら、事の真相を白状するかも知れぬ。そのうち一度、チョッピリ女史のところへ、何くわぬ顔をして偵察《ていさつ》に行ってみよう。かれは自分が独身者なもんだから、姉さんをもそそのかして、何とかして同じ独身者にしようと企てているのに違いない。鈴岡さんだって、悪い人じゃないようだし、姉さんだって立派な精神の持主だ。かならず、悪い第三者がいるに相違ない。とにかく事の真相を、もっとはっきり内偵しなければならぬ。お母さんは、断然、姉さんの味方らしい。やっぱり姉さんを、いつまでも自分の傍《そば》に置きたいらしい。此の事件は、まだ、他の親戚《しんせき》の者には知られていないようだが、いまのところでは、姉さんの味方は、お母さんに、チョッピリ女史。鈴岡さんの味方は、兄さんひとり。兄さんは、孤軍奮闘の形だ。兄さんは、このごろ、とても機嫌《きげん》が悪い。夜おそく、ひどく酔っぱらって帰宅した事も、二三度あった。兄さんは、姉さんより年《とし》が一つ下である。だから、姉さんも、兄さんの言う事を、一から十までは聞かない。兄さんは、でも、今は戸主だし、姉さんに命令する権利はあるわけだ。その辺が、むずかしいところだ。兄さんも、こんどの事件では、相当強硬に頑張《がんば》っているらしい。姉さんも、なかなか折れて出そうもない。チョッピリ女史が傍に控えているんじゃ、だめだ。とにかく僕も、も少し内偵の度を、すすめてみなければいけない。いったい、どういう事になっているんだか。
 きょうは兄さんに叱《しか》られた。晩ごはんの後で僕は、何気なさそうな、軽い口調で、
「去年の今頃《いまごろ》だったねえ、姉さんが行ったのは。あれからもう一年か。」と呟《つぶや》き、何か兄さんから事件の情報を得ようと、たくらんだが、見破られた。
「一年でも一箇月でも、いったんお嫁に行った者が、理由もなく帰るなんて法はないんだ。進は、妙に興味を持ってるらしいじゃないか。高邁《こうまい》な芸術家らしくもないぜ。」
 ぎゃふんと参った。けれども僕は、下劣な好奇心から、この問題をスパイしているのではないのだ。一家の平和を願っているからだ。また、兄さんの苦しみを見る
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