「むさぼるように」遊んでいた。僕たちは疲れて、砂浜に寝ころがった。夕焼け。雲の裂け間から見える赤い光は、燃えている真紅のリボンのようだ。頭をあげて見ると、別荘をかこんでいる松の林は、その赤い光を受けて、真赤にキラキラ輝いている。海は、――銚子《ちょうし》の半島も、むらさき色に幽《かす》かに見えて、水平線は鏡のふちのように、ほのかな緑。鴎が小さく海面とすれすれに飛んでいる。波は絶え間なく、うねり、崩れる。ああ、人生には、こんな一刻もあるのだ。ああ、きょうは誰にも遠慮せず、この素張らしい幸福感を、充分に味わえ! 人間は幸福な時には、ばかになっていてもいいのだ。神も、ゆるし給《たま》わん。この一日は、僕たち二人の安息日だ。兄さんは、貝殻《かいがら》に鉛筆で詩を書いた。
「なに?」といって覗《のぞ》き込んだら、
「ひめたる祈りを書いたのさ。」と言って笑って、その貝を海にほうった。
家へかえって、風呂へはいり、晩ごはんをすましたら、もう眠くなった。兄さんは、まっさきに蒲団にもぐり込んで、大鼾《おおいびき》をかいて眠ってしまった。こんなによく眠る兄さんを見た事が無い。僕は、ひと眠りしてから、また起きて、この日記をしたためた。この三日間の出来事を、一つも、いつわらずに書いたつもりだ。一生涯、この三日間を忘れるな!
四月五日。水曜日。
大風。けさの豪壮な大風は、都会の人には想像も出来まい。ひどいのだ。ハリケーンと言いたいくらいの凄《すご》い西風が、地響き立てて吹きまくる。それに家の西側の松が、二、三本切られているので、たまらない。ばりばりと此《こ》の家をたたき割るような勢いであった。とにかくひどい。小気味がいいくらいだ。一歩も外に出られなかった。午後になって、西風が、北東の風に変ったようだ。僕は、午前中は川越さんの犬ころを座敷にあげて遊んでいた。五匹いるのだ。つい先日、生れたばかりなんだそうだ。実に、可愛い。やっぱり風がこわいのか、ぷるぷる震えている。頬《ほお》ずりしたら、お乳のにおいが、ぷんと来た。どんな香水のにおいより、高貴だ。五匹をみんな、ふところへいれたら、くすぐったくて、僕は思わず「わあっ!」と悲鳴を挙げた。
兄さんは、午後から机に向って、原稿用紙になにか熱心に書いている。僕は傍《そば》に寝そべって、「夜明け前」を少し読んだ。読みにくい文章である。
風は、夜
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