年の修業だ。やって行けるかい?」
「やって行きます。」
「そうか。」兄さんは溜息をついた。「それなら、まず、R大学へも行け。卒業するしないは別として、とにかく、R大学へはいりなさい。大学生生活も少しは味わって置いたほうがいいよ。約束するね。それから、いますぐ、映画なんかのほうへ行こうと思わず、五六年、いや、七八年でも、どこか一流のいい劇団へかよって、基本的な技術を、みっちり仕込んでもらうんだ。どこの劇団へはいるか、そいつは、またあとで二人で研究しよう。そこまでだ。不服は無いだろう。兄さんは眠くなって来たよ。眠ろう。もう十年くらい、細々ながら生活するくらいのお金はある。心配無用だ。」
 僕は、僕の将来の全部の幸福の、半分、いや五分の四を、兄さんにあげようと思った。僕の幸福は、これではあまり大きすぎるから。
 けさは七時に起きた。こんなすがすがしい朝は、何年振りだろう。兄さんと二人で砂浜へ裸足《はだし》で飛んで出て、かけっこをしたり、相撲をとったり、高飛びをしたり、三段飛びをしたり、ひるすぎからは、ゴルフなるものをはじめた。ゴルフと言っても本式のものではない。インク瓶《びん》に布を厚く巻いて、それがボールだ。それを野球のバットでゴルフみたいなフオムで打って、畑の向うの約百|米《メートル》ばかり離れた松の木の下の穴に入れるのである。途中の畑が、たいへんな難関なのである。たのしかった。僕たちは大声で笑い合った。カアン! とインク瓶の球をふっ飛ばすと、実に気持がよい。キン婆さんが、お餅《もち》と蜜柑《みかん》を持って来てくれる。大いに感謝してむしゃむしゃ喰《た》べながら、またゴルフをつづける。僕は、たった六回で穴にいれた。きょうのレコードだった。浜の子供が四人、いつのまにやら、僕たちについて歩いている。
「おらは、おぼえただ。」
「おらも、おぼえただ。あすこの穴にぶち込めばええだ。」などと、こそこそ話合っている。仲間にはいりたい様子である。
 兄さんが、「やってごらんなさい。」と言ってバットを差し出したら、果して、嬉々《きき》として、「おらは、おぼえただ。」を連発しながら、やたらにバットを振りまわした。とても可愛《かわい》い。この子供たちは毎日、どんな事をして遊んでいるのだろうかと思ったら、ホロリとした。ああ、誰もかれも、みんな同じように幸福になりたい。子供たちは、それこそ、
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