ら大きい溜息《ためいき》がほうと出た。
ついたちと二日《ふつか》の、あの地獄の狂乱が、いまでは夢のように思われる。二日の朝、未明に起きて、トランクに身のまわりのものをつめ、こっそり家を脱《ぬ》け出した。お金は、ついたちの朝にもらった四月分のお小遣い二十円が、まだ半分以上も残っている。それでも心細いので、兄さんから借りているストップ・ウォッチと、僕の腕時計と二つ忘れずに持って出た。二つ一緒だと、百円くらいには売れるかも知れない。外は、ひどい霧だった。四谷見附《よつやみつけ》まで来たら、しらじらと夜が明けはじめた。省線に乗った。横浜。なぜ横浜までの切符を買ったのか、僕にも、うまく説明がつかない。とにかくそこへ行くと、いい運が待っているような気がした。けれども何も無かった。横浜の公園のベンチに、僕はひるごろまで坐っていた。港の汽船を眺めていた。鴎《かもめ》が飛んでいた。公園の売店から、パンを買ってたべた。それからまたトランクをさげて、桜木町の駅に行き、大船《おおふな》までの切符を買った。食えなくなったら映画俳優になるんだ。僕は去年、たぬきという数学の教師に侮辱されて、あっさり学校をよそうとしたが、その時にも、よし映画俳優になって自活してやると決意した。どういう訳か僕は、俳優になりさえすれば、立派に成功できるという、へんな自惚《うぬぼれ》を持っていたのである。顔に就いての自惚れではない。教養と芸に就いての自惚れである。僕は、映画俳優をあこがれてはいない。くるしい、また一面みじめな職業だとさえ考えている。けれども、この職業以外に、僕の出来そうなものはちょっと考えつかないのである。牛乳配達には、自信がないのだ。僕は大船で降りた。どんな事があっても、かならずねばって、誰かひとり、監督に逢《あ》うつもりであった。僕は、この事は、一高のドロップを知った直後に、颯《さ》っときめてしまっていたのだ。最後はそれだと決意していた。眼にものが見えぬほど異様に意気込んで撮影所の正門まで行ったが、これは、深刻な苦笑に終った。日曜であった! なんという迂闊《うかつ》な子だろう。何事も、神の御意《みこころ》だったのかも知れない。日曜であったばかりに、僕の運命は、またもやぐるりと逆転した。
僕はトランクをさげて、また東京へ帰った。東京の夕暮は美しかった。有楽町のプラットホームのベンチに腰をおろして、
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