輯《とくしゅう》の演芸欄。僕の写真が滝田輝夫の写真と並んで小さく出ている。名前が、ちがっている。僕の写真には、市川菊松。滝田のには、沢村扇之介。春秋座の二新人という説明がついていて、それから「どうぞよろしく」だとさ。あきれた。ばかにしてやがると思った。こんどの初舞台から、僕たちは準団員になる筈《はず》だという事は、わかっていたが、こんな芸名まで、ついていたとは知らなかった。なんにも僕たちには通知がなかったのだ。どうせ、でたらめに、でっち上げられた芸名だろうが、それにしても本人に、ちょっと相談してから、確定すべきものではなかろうか。暗い気がした。けれども、市川菊松という、この妙に、ごつい芸名の陰に、団長、市川菊之助の無言の庇護《ひご》が感ぜられて、その点は、ほのぼのと嬉《うれ》しかった。市川菊松。いい名じゃねえなあ。丁稚《でっち》さんみたいだ。
「いよいよ、」鈴岡さんは笑いながら、「本格的になって来たね。お祝いの意味で、これから支那《しな》料理でも食べに行こう。」鈴岡さんは、なにかというと、すぐ支那料理だ。
「だけど、こんなに大袈裟《おおげさ》になって来ると、心配ね。」姉さん夫婦は、僕の俳優志願を前から知っていて、ちょっと心配しながらも、まあ、黙許という形だったのだ。「お母さんには、まだ、知らせないほうがいいんじゃない?」お母さんには、はじめから絶対秘密になっているのだ。
「もちろんさ。」兄さんは強い口調で答える。「いずれ、わかる事だろうけど、でも、もう少しお母さんが達者になってから全部を申し上げる事にしているんだ。とにかくこれは、僕の責任なんだから。」
「責任だなんて、そんな固苦しい事は、考えなくてもいいさ。」鈴岡さんは度胸がいい。「役者でもなんでも、まじめにやって行けたら立派なもんだ。十七で、五十円の月給を取るなんて、ちょっと出来ない事だぜ。」
「三十円ですよ。」僕は訂正した。
「いや、三十円の月給なら、手当やなんかで、六十円にはなるものなんだ。」役者も銀行員も、同じものに考えているらしい。
鈴岡さん夫婦、俊雄君、それから兄さん、僕、五人で日比谷《ひびや》へ支那料理を食べに出かけた。みんな浮き浮きはしゃいでいたが、僕ひとりは、ゆうべの寝不足のせいもあり、少しも楽しくなかった。稽古の地獄が、一刻も念頭より離れず、ただ、暗憺《あんたん》たる気持であった。道楽で役者修
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