などからも来て、ざっと六百通ちかく集ったのですよ。」
「でも、まだわからないんでしょう?」と僕が言ったら、
「さあ、どうでしょうかね。」とあいまいな返事をした。
 合格ならば、一週間以内に、正式の通知が来るのだそうだ。僕たちは市電の停留所でわかれた。
 兄さんに知らせたら大喜びだ。こんなに喜んだ兄さんを見た事がない。
「よかったねえ、よかったねえ、進は、やっぱり役者になるのがよかったんだ。六百人の中から二人とは凄《すご》いじゃないか。偉いねえ、ありがとう、僕は、もう、どんなに嬉しいか、――」と言いかけて、少し泣いた。滅茶滅茶だ。まだ、喜ぶには早いのに。
 正式の通知の来ないうちは、気をゆるめてはいけないのだ。


 七月十四日。金曜日。
 晴れ。合格通知来る。


 七月十五日。土曜日。
 晴れ。猛烈に暑い。きのうは合格通知を封筒のまま仏壇にあげて、兄さんと二人で、お父さんに報告をした。本当に、日本一の俳優になれそうな気がして来た。苦しいのは、寧《むし》ろ、これからであろう。けれども「善く且《か》つ高貴に行動する人間は唯《た》だその事実だけに拠《よ》っても不幸に耐え得るものだということを私は証拠立てたいと願う。」これは、ベートーヴェンの言葉だが、壮烈な覚悟だ。昔の天才たちは、みんな、このような意気込みで戦ったのだ。折れずに、進もう。ゆうべは、兄さんと木島さんと僕と三人で、猿楽軒《さるがくけん》に行き、ささやかな祝宴。お母さんの健康を祈って乾盃《かんぱい》した。木島さんは酔って、チャッキリ節《ぶし》というものを歌った。
 このごろは、学校へ、さっぱり行かない。二学期から、休学しようと思っている。兄さんも、そうするより他《ほか》は無かろうと言っている。春秋座の道場へは、もう来週の月曜から毎日かよわなければならないのである。すぐに公演の方にも手伝いするのだそうである。研究生時代の二箇月間も、手当は、毎月十二円、公演の手伝いをした時にはまた若干、道場までの交通費もきちんと支給される事になっている。二箇月を経ると、準団員として毎月、化粧料三十円になるのだ。それから二箇年間に、少しずつ手当がふえていって、二箇年が過ぎると、正団員になって、全団員と同等の待遇を受けるようになるのである。順調に行くと、僕は十九歳の秋には正団員になれるのである。けれども今は、そんな甘い空想で、うっとり
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