小さい傷口を消毒し繃帯《ほうたい》した。娘の怪我を聞いて父親の小使いが医務室に飛び込んで来た。僕は卑屈なあいそ笑いを浮べて、
「やあ、どうも。」と言った。僕は、自分が本当に悪いと思っていると尚《なお》さら、おわびの言葉が言えなくなるたちなのだ。
 その時の父親の眼つきを、僕は忘れる事が出来ない。ふだんは気の弱そうな愛嬌《あいきょう》のいい人であったが、その時、僕の顔をちらと見た眼つきは、憎悪と言おうか、敵意と言おうか、何とも言えない実におそろしい光りを帯びていた。僕は、ぎょっとした。
 ツネちゃんの怪我はすぐ治って、この事件は、べつだん療養所の問題になる事もなく、まあ二三の仲間にひやかされたくらいの事ですんだのであるが、しかし、僕の思想は、その日の出来事で一変せられたと言ってよい。僕はその日から、なんとしても、もう戦争はいやになった。人の皮膚に少しでも傷をつけるのがいやになった。人間は雀じゃないんだ。そうして、わが子を傷つけられた親の、あの怒りの眼つき。戦争は、君、たしかに悪いものだ。
 僕はべつにサジストではない。その傾向は僕には無かった。しかし、あの日に、人を傷つけた。それはきっと
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