となしく首肯《うなず》いて、僕のあとについて来た。
少し歩くと、井の頭公園である。公園の林の中を歩きながら、草田氏は語った。
「どうもいけません。こんどは、しくじりました。薬が、ききすぎました。」夫人が、家出をしたというのである。その原因が、実に馬鹿げている。数年前に、夫人の実家が破産した。それから夫人は、妙に冷く取りすました女になった。実家の破産を、非常な恥辱と考えてしまったらしい。なんでもないじゃないか、といくら慰めてやっても、いよいよ、ひがむばかりだという。それを聞いて僕も、お正月の、あの「いただきません」の異様な冷厳が理解できた。静子さんが草田の家にお嫁に来たのは、僕の高等学校時代の事で、その頃は僕も、平気で草田の家にちょいちょい遊びに行っていたし、新夫人の静子さんとも話を交して、一緒に映画を見に行った事さえあったのだが、その頃の新夫人は、決してあんな、骨を刺すような口調でものを言う人ではなかった。無智なくらいに明るく笑うひとだった。あの元旦に、久し振りで顔を合せて、すぐに僕は、何も言葉を交さぬ先から、「変ったなあ」と思っていたのだが、それでは矢張《やは》り、実家の破産という
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