憂愁が、あのひとをあんなにひどく変化させてしまっていたのに違いない。
「ヒステリイですね。」僕は、ふんと笑って言った。
「さあ、それが。」草田氏は、僕の軽蔑に気がつかなかったらしく、まじめに考え込んで、「とにかく、僕がわるいんです。おだて過ぎたのです。薬がききすぎました。」草田氏は夫人を慰める一手段として、夫人に洋画を習わせた。一週間にいちどずつ、近所の中泉花仙とかいう、もう六十歳近い下手《へた》くそな老画伯のアトリエに通わせた。さあ、それから褒《ほ》めた。草田氏をはじめ、その中泉という老耄《ろうもう》の画伯と、それから中泉のアトリエに通っている若い研究生たち、また草田の家に出入りしている有象無象《うぞうむぞう》、寄ってたかって夫人の画を褒めちぎって、あげくの果は夫人の逆上という事になり、「あたしは天才だ」と口走って家出したというのであるが、僕は話を聞きながら何度も噴き出しそうになって困った。なるほど薬がききすぎた。お金持の家庭にありがちな、ばかばかしい喜劇だ。
「いつ、飛び出したんです。」僕は、もう草田夫妻を、ばかにし切っていた。
「きのうです。」
「なあんだ。それじゃ何も騒ぐ事はな
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