ってなかなかおいしいものだが、上流の人たちは、この肉を、たいへん汚いものとして捨てるのだ。なるほど、蜆の肉は、お臍《へそ》みたいで醜悪だ。僕は、何も返事が出来なかった。無心な驚きの声であっただけに、手痛かった。ことさらに上品ぶって、そんな質問をするのなら、僕にも応答の仕様がある。けれども、その声は、全く本心からの純粋な驚きの声なのだから、僕は、まいった。なりあがり者の「流行作家」は、箸とおわんを持ったまま、うなだれて、何も言えない。涙が沸《わ》いて出た。あんな手ひどい恥辱を受けた事がなかった。それっきり僕は、草田の家へは行かない。草田の家だけでなく、その後は、他のお金持の家にも、なるべく行かない事にした。そうして僕は、意地になって、貧乏の薄汚い生活を続けた。
 昨年の九月、僕の陋屋《ろうおく》の玄関に意外の客人が立っていた。草田惣兵衛氏である。
「静子が来ていませんか。」
「いいえ。」
「本当ですか。」
「どうしたのです。」僕のほうで反問した。
 何かわけがあるらしかった。
「家は、ちらかっていますから、外へ出ましょう。」きたない家の中を見せたくなかった。
「そうですね。」と草田氏はお
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