どけたってむだでしょう。僕は、とどけないつもりですから、あなたも、そのつもりで充分、安心して下さいね。」けれども、この表面は蜜《みつ》のように甘い私の言葉の裏には、悪辣老獪《あくらつろうかい》の下心が秘められていたのである。私は、そう言ってどろぼうを安心させることに依《よ》って受ける私のいろいろの利益を計算していたのである。だいいちには、どろぼうをそんなに安心させて置けば、どろぼうの猛《たけ》り猛った気もゆるみ、かれは私に危害を加えるということが、万々ないであろう。それから、後日、このどろぼうが再び悪事を試み、そのとき捕えられて、牢《ろう》へいれられても、私をうらむことはないであろう。私は、このどろぼうの風采に就《つ》いては、なんにも知らないということになっているのであるから、まさか、私がかれの訴人《そにん》の一人である、などということは、絶対に有り得ないのである。それに私は、警察にはとどけないつもりであります、とはっきり、かれに明言している。かれは、私を、うらみに思うわけは無い。実は、私、このどろぼうが他日、捕えられ、牢へいれられ、二、三年のちに牢から出たとき、そのときのことを心配し
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