言うが、私は、決して家を粗末《そまつ》にしていたわけではないのである。家を愛している。文学のつぎに、愛している。けれども、何せれいの家の建て直しに、着て出る着物の調整に、やっさもっさ、心をくだき、あまりの向上心に、いきおい守るほうを失念してしまっていた。人間のアビリティの限度、いたしかたの無いものである。たしかに一方、抜けていた。まさしく破綻の形である。私は、そのような奇怪の、ほの白い人の顔の出没に接しても、ただ単に、屈辱を感じただけで、それ以上の深い詮索《せんさく》をしなかった。ほかに、あれこれ考えなければならぬ事が多く、そんな、黄昏《たそがれ》の人の顔など、ものの数で無かった。ばかにしてやがる。そう呟《つぶや》いて、窓をぴたと閉め、それから難渋しながら、たわいない甘い物語を書き綴る。これが、私の天職である。物語を書き綴る以外には、能は無い。まるっきり、きれいさっぱり能がない。自分ながら感心している。ある時は仕官懸命の地をうらやみ、まさか仏籬《ぶつり》祖室の扉の奥にはいろうとは、思わなかったけれど、教壇に立って生徒を叱る身振りにあこがれ、機関車あやつる火夫の姿に恍惚《こうこつ》として
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