に家人をいましめ、家の戸じまり火の用心、警戒おさおさ、怠ることの無かったでもあろうに、かなしいかな、この日頃の私には、それだけの余裕さえ無かった。おのれの憤怒と絶望を、どうにか素直に書きあらわせた、と思ったとたん、世の中は、にやにや笑って私の額《ひたい》に、「救い難き白痴」としての焼印を、打とうとして手を挙げた。いけない! 私は気づいて、もがき脱れた。危いところであった。打たれて、たまるか。私は、いまは、大事のからだである。真実、そのものを愛し、そのもののために主張してあげたい、その価値を有する弱い尊いものをさえ、私は、いまは見つけたような気がしている。私は、いまは、何よりも先ず、自身の言葉に、権威を持ちたい。何を言っても気ちがい扱いで、相手にされないのでは、私は、いっそ沈黙を守る。激情の果の、無表情。あの、微笑の、能面《のうめん》になりましょう。この世の中で、その発言に権威を持つためには、まず、つつましい一般|市井人《しせいじん》の家を営み、その日常生活の形式に於いて、無慾。人から、うしろ指一本さされない態《てい》の、意志に拠るチャッカリ性。あたりまえの、世間の戒律を、叡智に拠《よ》
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