ります、と言って、それから、万年筆の数にも限りがあり、皆さん全部に、おわけすることもできず、先着順に、おしるしだけ金十銭也をいただいて、と急いで言い続けなければいけないところを、無代進呈するつもりであります、と言い切って、ふと客のほうを見ると、ひとり刑事らしい赤らがおの親爺が客のうしろで、にやっと笑って、君の亭主は、それを見るなり、かっと一時にのぼせちゃって、無代進呈するつもりであります、ほんとうに無代進呈いたします、おれは嘘なんか、つかない、なあに、こんな商売していても、お客を、だますことなんか、きらいなんだ。無代進呈します、さあ、みんな持っていってくれ、信じない奴は、ばかだ。無代進呈いたします。露店商人にも、意地は、あるんだ。みんな、ただで差しあげます。ああ、お嬢さん、ほしいの? いいねえ、あなたは、人を疑わない。はじめから、おれが、ただで、この万年筆をさしあげること、はじめっから信じていてくれたんですね。ああ、疑わない人は、とくをする。さあ、さし上げましょう、三本。一本は、お父さんに。一本は、お母さんに。私を忘れないで下さい! さあ、ほかに欲しい人はないか。疑うやつは、損をする。世の中、なんでもそうだ。利巧ぶってにやにや笑っているやつは、かえってばかだ。大ばかの大間抜けだ。素直に信じる人は、とくをする。神さまだって、可愛がる。はい、あなたに一本。はい、あなたにも一本。ああ、おれは、泣くほどうれしい。なあに、おろし値段六円と少しだ。安いものさ。一晩、女を抱いたと思えば、あきらめもつくんだ。安いものさ。おれのことは、心配するな。さあ、ほかに欲しい人はないか、ないか。信じない奴あ、ばかだ! 君の亭主は、こんな工合に、調子づいて、おしまいには泣き声にさえなって、とうとう万年筆全部、一本のこらずくれちゃったんだ。刑事も、あきれたね。君の亭主は、そんな、へまな男なんだ。それゆえ、君は、その無力の亭主の手助けに、こんな夜かせぎに出なくちゃならなくなってしまった。どうだ、あたっているだろう。」あたるも、あたらぬも無い。私は、二十円とられたのが、なんとしても、いまいましく、むしゃくしゃして、口から出まかせ、さんざ威張りちらして、私の夢を、謂《い》わば、私の小説の筋書を、勝手に申述べているだけなのである。まさしく、負けた犬、吠えるの類《たぐい》にちがいなかった。「僕は、まだまだ知っている。君は、なぜ僕の家を選んだか。僕は、知っている。僕の家は、まあ、若夫婦二人きりの、謂わば、まあ、新家庭だ。君は、そこのところに眼をつけた。若夫婦は、のんびりしていて、何かにつけて、しまりがない。そこに眼をつけた。と言えば上品だが、君、そうではなかろう? それだけではなかろう? どうだい? 君は、まだ、三十一だ。純粋に盗むことだけの目的で、それは、はいるのだろうが、けれども、そこに何か景品的なたのしみも、こっそりあてにしてはいないか。同じことなら、若夫婦の寝所にしのびこんでみたい、そうして、君、ああ、いやしい! きたない! 恥ずかしくないか。君は、そのような興味も、あって、僕の家を襲った。たしかに、そうだ。君は、まだ三十一だ。女のさかりだ。卑劣だねえ、君は。ところがお生憎《あいにく》さま、僕のところは、このようにちゃんと寝室を別にしている。神聖なものだ。しどけない有様は、どこにも無い。ひっそり閑としたものだ。ここにも、君の失敗がある。つつしむべきは、好色の念だね。君なんかに、のぞき見されて、たまるもんか。君は、ときどき上流の家庭にも、しのび込んで、そうして、そこの大奥様の財布《さいふ》なんか盗んで家へ持ってかえり、そのお財布の中に、奇妙な極彩色の絵なんか在る場合、亭主とふたりで、大いに笑って得意らしいが、何もあれは、大奥様の好色の念から、その絵をいれて置くのじゃないのだぜ。あれは、ね、教えてあげる。つまり、そんな絵がはいっていると、その財布を落さないように、しじゅう気をつけるようになるし、すべての注意力をお財布に集中させて置くようにとの、つつましく厳粛な心から、あの絵を一枚入れて置くのだ。決して、浮いた、みだらな心からでは無いのだ。財布にあれを入れて置くと、お金がなくならないし、箪笥《たんす》にあれを入れて置くと、着物に不自由しない、というが、それは、ほんとうなんだ。そこに注意力を集中させるためなんだ。ずいぶん恥ずかしいもんだから、その財布にも、箪笥にも、なるべく手をふれないよう、無闇《むやみ》に開閉しないように、そっと大事に、いたわるようになるのだ。いじらしいじゃないか。ずいぶん、つましい奥ゆかしいことなんだ。君は、それから、子供の財布さえ盗んだことがあるね。たしかに、盗んだ。そうして、君は、泣いたろう。女の子の財布には、その子供自身で針金ねじ曲げてこしらえ
前へ 次へ
全16ページ中14ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング