た指輪なんかがはいっていて、その不手際の、でこぼこした針金の屈曲には、女の子のうんうん唸《うな》って、顔を赤くして針金ねじ曲げた子供の柔かいちからが、そのまま、じかに残っていて、彎曲《わんきょく》のくぼみくぼみに、その子供の小さい努力が、ほの温くたまっていて、君は、たまらなくなって顔を覆ったろう。平気だったら、君は、鬼だ。また、男の子の財布には、メンコが一そろいはいっている。メンコには、それぞれお角力《すもう》さんの絵が画かれていて、東の横綱から前頭《まえがしら》まで、また西の横綱から前頭まで、東西五枚ずつ、合計十枚、ある筈なんだが、一枚たりない。東の横綱がないんだ。どういうわけか、そこまでは僕も知らない。メンコ屋で、品切れになっていたのかも知れない。持主の男の子は、かねがね、どんなにそれを淋しがっていたことだろう。どんなに、ひそかに気がひけていたろう。どんなに東の横綱が、ほしかったろう。所蔵の童話の本、全部を投げ打っても、その東の横綱と交換したいと思っていたにちがいない。東の横綱は、どこのメンコ屋にも無かった。友だちみんなに聞いてまわっても無かった。そのとき、君が、盗んじゃった。君はそのメンコを調べてみて、その男の子の無念と、淋しさを思いやって、しじゅう、そのことが頭から離れず、その後は、メンコ屋の店のまえをとおるときには、必ずちょっと店先を覗《のぞ》いて、もしや、東の横綱が無いかしら、と思わず懸命に捜してみるようになってしまっているにちがいない。そうでなかったら、君は、鬼だ。どろぼうなんて、いい商売じゃないね。よしたまえ、おい、聞いているのか。」
 隣室にぱっと電燈がともって、この部屋も薄明るくなって、見ると、どろぼうは、影も形も無い。いやな気がした。
 襖《ふすま》をあけて、家内がよろめくようにしてはいって来て、
「どろぼう?」あさましいほどに、舌がもつれていて、そのまま、ぺたりと坐ってしまった。
「そうだ。たしかに、いたのだ。」家内の恐怖の情を見て、たちまち私は、それに感染してしまったのである。歯の根も合わぬほどに、がたがたと震えはじめた。はじめて、人心地を取りかえしたのかも知れない。それまでは、私は、あまりの驚愕《きょうがく》に、動顛《どうてん》して、震えることさえ忘却し、ひたすらに逆上し、舌端《ぜったん》火を吐き、一種の発狂状態に在ったのかも知れない。「たしかに、いたのだ。たしかに。まだ、いるかも知れない。」
 家内は、私が、畳のきしむほどに、烈しく震え出したのを見て、かえって自分のほうは落ちつきを得た様子で、くすくす無理に笑い出し、
「かえりましたよ。あたし知っている。あなたが、ばかッと、どろぼうを大声でお叱りになったでしょう? あのとき、あたし眼をさましたの。耳をすまして、あなたのお話を聞いていると、どうも相手は、どろぼうらしいのでしょう? あたし、だめだ、と思ったの。死んだようになって、俯伏《うつぶせ》のままじっとしていたら、どろぼうの足音が、のしのし聞えて、部屋から出て行くらしいので、ほっとしたの。可笑《おか》しなどろぼうね。ちゃんと雨戸まで、しめて行ったのね。がたぴし、あの雨戸をしめるのに、苦労していたらしいわ。」
 見ると、なるほど、雨戸はちゃんとしめてある。すると、私は、誰もいない真暗い部屋で、ひとりでいい気になって、ながながと説教していたものとみえる。ばかげている。どろぼうが、すぐにこそこそ立ち去ったのも、そうして、ごていねいに、雨戸までしめていって呉れたのも、ちっとも気づかず、夢中で独《ひと》りわめいていたものらしい。
「つまらないどろぼうだね。」私は、仕方なしに笑った。「徹頭徹尾のリアリストだ。おい、お金みんな持って行ったらしいぞ。」
「お金なんか、」家内は、いつでも私にはらはらさせるくらい、お金に無頓着である。芸術家の家内というものは、そうしなければいけないと愚直に思いこんで努めているふしが在る。「それよりも、お怪我《けが》が無くて、なによりでした。ほんとうに、」と言いかけて、肩を落して溜息《ためいき》をつき、それから、顔を伏せたまま、「あんな、どろぼうなんかに、文学を説いたりなさること、およしになったら、いかがでしょうか。私は、あなたのところへお嫁に来るとき、親戚《しんせき》の婦人雑誌の記者をしている者が、私の母のところに、あなたのとても悪い評判を、手紙で知らせて寄こして、そのときは、私たち、あなたともお逢いしたあとのことで、母は、あなたを信じて居りましたし、その親戚の記者も、あなたと直接お逢いしたことは無く、ただ噂《うわさ》だけを信じて、私たちに忠告して寄こしたのですし、本人に逢った印象が第一だ、と私も思いまして、私は、いまは、ちっともあなたのことを疑っていないのですけれども、あんな、どろ
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