ん、めぐるさかずき、影さして、と歌う。
舞台すこし暗くなる。斜陽が薄れて来たのである。
くすくす忍び笑いして、奥田菊代、上手の出入口より登場。
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(菊代) なかなかお上手《じょうず》ね、先生。
(野中)(おどろき、振りかえって菊代を見つけ、苦笑して)なんだ、あなたか。(黒板を拭き終って正面を向き)ひやかしちゃいけません。
(菊代) あら、本当よ。本当に、お上手よ。すばらしいバリトン。
(野中)(いよいよ口をゆがめて苦笑し)よして下さい、ばかばかしい。僕んところは親の代《だい》から音痴《おんち》なんです。(語調をかえて)何か御用? 奥田先生なら、ついさっき帰ったようですよ。
(菊代) いいえ、兄さんに逢いに来たんじゃないんです。(たわむれに、わざと取り澄ました態度で)本日は、野中弥一先生にお目にかかりたくてまいりました。
(野中) なあんだ、うちで毎日、お目にかかってるじゃないか。
(菊代) ええ、でも、同じうちにいても、なかなか二人きりで話す機会は無いものだわ。あら、ごめん。誘惑するんじゃないわよ。
(野中) か
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