いますよ。(洗濯物を一枚一枚畳みながら)いまの、あの、妹さんがお父さんに手をひかれて、よちよち歩いてお焼香《しょうこう》した時の姿が、まだどうしても忘れられません。あれを見てわたくしどもは、ああ、母親というものは、小さい子供を残しては、死んでも死にきれないと思いました。
(奥田)(冷静に)しかし、母は、自殺したのです。
(しづ)(顔を挙げて)まあ、そんな、あなた、決してそんな。
(奥田) 野中先生から聞きました。おもてむきは、心臓|麻痺《まひ》という事になっているけれども、たしかに自殺だ。うちで使っていた色の黒い料理人と通じて、外聞《がいぶん》が悪くなって自殺したのだ。だから、妹の菊代の本当の父は、どっちだかわからない。それで僕のうちでは、旅館をやめて、この土地を引払い青森へ行き、僕が青森の師範学校へはいるようになったら、こんどは、父は僕ひとりを残して妹と二人で東京へ行ってしまった。よっぽど父は、この津軽地方には、いたくなかったらしい、と野中先生に聞かせていただきました。
(しづ) まあ、あのひとは、なんというおそろしい事を言うんでしょう。みんな、もう、根も葉も無い事です。だいいち、あ
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