大きい平目《ひらめ》二まい縄でくくってぶらさげている。
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(野中) 奥田せんせい。やあ、いるいる。おう、菊代さんもいるな。こいつあ、いい。大いにやろう。酒もあり、さかなもある。
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障子の女の影法師、ふっと掻き消すようにいなくなる。
同時に、障子があいて、奥田が笑いながら顔を出す。
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(奥田) ああ、お帰り。(縁側に出る)いいご機嫌ですね。きょうは、どこか、ご招待でもあったんですか?
(野中) ご招待? ご招待とは情ない。(縁側にどかりと腰をおろし)いかに我等国民学校教員が常に赤貧《せきひん》洗うが如しと雖《いえど》も、だ、あに必ずしも有力者どもの残肴余滴《ざんこうよてき》にあずからんや、だ。ねえ、菊代さん、そうじゃありませんか。(腕をのばして障子を左右一ぱいにあけ放つ)菊代さん! おや、いないのか。
(奥田) 妹は、まだ帰って来ないんです。また、れいの文化会でしょう。
(野中)(少し落ちつき)そう。それは僕も知っているんだが、……しかし、いま、たしかに、……。
(奥田)(静かに)きょうは、ずいぶんお酔いになっていらっしゃるようですね。まあ、お上りなさいませんか。
(野中)(急にまた元気づいて)ああ、上らせてもらおう。(サンダルのようなものを脱いで縁側に上り、よろめき)きょうは、ひとつ、盛大にやろうじゃないか。このたびの教員大異動に於《お》いて、君も僕も、クビにならず、まず以《もっ》て無事であった。これを祝する意味に於いて、だ、(一升瓶とさかなを両手にぶらさげ部屋にはいり、部屋の上手《かみて》の襖《ふすま》をあけ)おうい、おうい。節子! (と母屋《おもや》に呼びかける)
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野中の妻、節子、登場。しかし、襖の外にしゃがんでいる形なので観客からは見えぬ。
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(野中)(その襖の外の節子に平目《ひらめ》を手渡しながら)たったいま、浜からあがった平目だ。刺身《さしみ》にしてくれ。奥田先生と今夜は、ここで宴会だ。いいかい、刺身をすぐに、どっさり持って来てくれ。どっさりだよ。待て、待て。一まいは刺身に、一まいは焼く、という事にしたらいい。もの惜しみをしちゃいけねえ。お前たちも、食べろ。いいかい、お母さんにも、イヤというほど食べさせろ。
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節子、無言で静かに襖をしめる。
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(野中)(にやにや笑いながら一升瓶を持ったまま奥田の机の傍に坐り)どうも、ねえ、漁師まちの先生をしていながら、さかなが食えねえとは、あまりにみじめすぎるよ。
(奥田)(部屋の中央に持ち運んだ鍋《なべ》やら茶碗《ちゃわん》やらを、また部屋の隅《すみ》に片づけながら)さかなは、どうです、いま。新円になってから、すこしは安くなりましたか。
(野中)(苦笑して)安くならねえ。漁師の鼻息ったら、たいしたものさ。平目一まいの値段が、僕たちの一箇月分の給料とほぼ相似たるものだからな。このごろの漁師はもう、子供にお小遣いをねだられると百円札なんかを平気でくれてやっているのだからね。
(奥田) そう、そうらしいですね。(部屋の中央に据《す》えた小さな食卓も部屋の隅に取片づけ)子供たちにあんな大金を持たせるのは、いい事じゃないと思いますがね。子供たちの間で、このごろ、ばくちがはやっているそうじゃありませんか。
(野中) そうらしい。何もかも、滅茶苦茶さ。(語調をかえて)君、その食卓は、そこに置いといたほうがいいよ。金《かね》の話なんか、つまらない。飲もう。茶呑茶碗を二つ貸してくれ。
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奥田、またその小さい食卓を部屋の中央に据えて、それから、茶呑茶碗を取りに縁側へ出る。
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(野中)(その間に、ふと、傍の机の上にある奥田の読みかけの書籍を取り上げて)フランス革命史、なんだ、こんなものを読んでいるのか。よせ、よせ。歴史は繰り返しやしねえ。(軽く書籍を畳の上にほうり出す)歴史は繰り返すなんて、どだい、あれは、君、弁証法を知らんよ、なんてね、僕もこれは一つ、社会党へでもはいって出世をしようかな。つまらない。飲もう! 飲んで鬱《うつ》を晴らそう。汝《なんじ》、無力なる国民学校教師よ。
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二人、小さい食卓をはさ
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