して来ましたのに、あの人はまあ何と思っているのやら、剛情、とでもいうんでしょうかねえ、素直なところが一つも無くて、あれで内心は、ご自分の出た黒石の山本の家が自慢で自慢でならないらしく、それはまあ黒石の山本の家は、お城下まちの地主さんで、こんな田舎《いなか》の漁師まちの貧乏な家とは、くらべものにならないくらい大きい立派なお屋敷に違いございませんけれど、なあに地主さんだって、今では内証はみんな火の車だそうじゃありませんか。昔からあの家は、お仲人《なこうど》の振れ込みほどのことも無く、ケチくさいというのか、不人情というのか、わたくしどもの考えとは、まるで違った考えをお持ちのようで、あのひとがこちらへ来てからまる八年間、一枚の着換えも、一銭の小遣いもあのひとに送って来た事が無いんですよ。そんなにむごくされても、あの人は、やっぱり生れた家に未練があるのか、いつだったか、あの黒石の兄さんが、何とか議員に当選した時の、まあ、あの人の喜びようったら、あさましくて、あいそが尽きました。議員なんて、何もそんなに偉いものではないと思いますがねえ。わたくしどもの野中家《のなかけ》は、それはもうこんな田舎の貧乏な家ですけれども、それでも、よそさまから、うしろ指一本さされた事も無く、先祖代々この村のために尽して、殊にも、わたくしの連れ合いは、御承知のように、この津軽地方の模範教員として、勲章までいただいて居りますし、それに、わたくしどもの死んだ長男は、東京帝大の医科にはいって、もう十年もそれ以上も、昔の話でございますけど、あれが卒業|間際《まぎわ》に死んだ時には、帝大の先生やら学生さんやら、たくさんの人からおくやみ状をいただき、また、こんな片田舎にまで、わざわざご自身でお墓まいりに来て下さった先生さえあったのです。本当にもう、あれが生きていたら、あれさえ生きていてくれたら。(泣く)いまごろはもうあれも、立派なお医者になって、わたくしどもも、いまのような、こんな苦労をしなくても、……(くどくどと、涙まじりの愚痴《ぐち》になる)
(奥田)(もてあまし気味で)しかし、そんな事をおっしゃったって、……。お母さん。僕の、考え直さなければいけないところというのも、つまり、そんなところなんです。ここの、野中のお宅のご主人は、いまは、あの野中先生なんでしょう? 過ぎ去った事よりも、現在が大事じゃありませんか。僕には、養子というものは本来どんな姿のものであるべきか、その道徳上の本質がよくわからないんですけれども、しかし、あなたたちのように、客間の正面に、あんな大きなお父さんのお写真と、それからお兄さんのお写真を、これ見よがしに掲げたりなんかして置いては、野中先生もあれで気の弱いお方ですから、何だか落ちつかない気持になるんじゃないでしょうか。
(しづ)(顔を挙げて)それは、あの人が劣っているせいです。いたらないせいです。わたくしどもが、あの写真を二つ並べて飾ってあるのは、あの人にも、死んだ父や兄に負けないくらいの人物になってもらいたいという、つまり、あの人をはげます意味で、それで、……。
(奥田) だから、それが、(笑い出して)いや、きりがないですね、こんな事を言い合っていても。(立ち上り、縁側に出て、鍋を七輪からおろし、かわりに鉄瓶《てつびん》をかける。この動作の間に、ひとりごとのように)これからも一生、野中|家《け》だ、山本家だ、と互いに意地を張りとおして、そうして、どういう事になるのかな? 僕には、わからん。わからん。
(しづ)(興覚めた様子で)あなたも、いまにお嫁さんをおもらいになったら、おわかりでしょう。(立ち上り、襟元《えりもと》を掻《か》き合せ)おお、寒い。雪が消えても、やっぱり夕方になると、冷えますね。(そそくさと洗濯物をかかえ込んで)お邪魔しました。
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風吹き起り、砂ほこりが立つ。春の枯葉も庭の隅で舞う。
しづ、上手《かみて》より退場。
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(奥田)(縁側に立って、それを見送り)おしんこか何かとどけてくれると言ったが、あの工合いじゃあてにならん。(ひとりで笑って)さあ、めしにしようか。
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奥田、鍋を部屋のなかに持ち運び、障子《しょうじ》をしめる。障子に、奥田の、立って動いて、何やら食事の仕度をしている影法師が写る。ぼんやり、その奥田の影法師のうしろに、女の影法師が浮ぶ。
その女の影法師は、じっと立ったまま動かぬ。外は夕闇《ゆうやみ》。
国民学校教師、野中弥一、酔歩蹣跚《すいほまんさん》の姿で、下手《しもて》より、庭へ登場。右手に一升瓶、すでに半分飲んで、残りの半分を持参という形。左手には、
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