》ずるだけでは、とても、がまんができません。突風の如く手折《たお》って、掌にのせて、花びらむしって、それから、もみくちゃにして、たまらなくなって泣いて、唇のあいだに押し込んで、ぐしゃぐしゃに噛んで、吐き出して、下駄でもって踏みにじって、それから、自分で自分をもて余します。自分を殺したく思います。僕は、人間でないのかも知れない。僕はこのごろ、ほんとうに、そう思うよ。僕は、あの、サタンではないのか。殺生石。毒きのこ。まさか、吉田御殿とは言わない。だって、僕は、男だもの。」
「どうだか。」Kは、きつい顔をする。
「Kは、僕を憎んでいる。僕の八方美人《はっぽうびじん》を憎んでいる。ああ、わかった。Kは、僕の強さを信じている。僕の才を買いかぶっている。そうして、僕の努力を、ひとしれぬ馬鹿な努力を、ごぞんじないのだ。らっきょうの皮を、むいてむいて、しんまでむいて、何もない。きっとある、何かある、それを信じて、また、べつの、らっきょうの皮を、むいて、むいて、何もない、この猿のかなしみ、わかる? ゆきあたりばったりの万人を、ことごとく愛しているということは、誰をも、愛していないということだ。」
Kは、私の袖《そで》をひく。私の声は、人並はずれて高いのである。
私は、笑いながら、「ここにも、僕の宿命がある。」
湯河原《ゆがわら》。下車。
「何もない、ということ、嘘だわ。」Kは宿のどてらに着換えながら、そう言った。「この、どてらの柄《がら》は、この青い縞《しま》は、こんなに美しいじゃないの?」
「ああ、」私は、疲れていた。「さっきの、らっきょうの話?」
「ええ、」Kは、着換えて、私のすぐ傍にひっそり坐った。「あなたは、現在を信じない。いまの、この、刹那《せつな》を信じることできる?」
Kは少女のように無心に笑って、私の顔を覗き込む。
「刹那は、誰の罪でもない。誰の責任でもない。それは判っている。」私は、旦那様のようにちゃんと座蒲団に坐って、腕組みしている。「けれども、それは、僕にとって、いのちのよろこびにはならない。死ぬる刹那の純粋だけは、信じられる。けれども、この世のよろこびの刹那は、――」
「あとの責任が、こわいの?」
Kは、小さくはしゃいでいる。
「どうにも、あとしまつができない。花火は一瞬でも、肉体は、死にもせず、ぶざまにいつまでも残っているからね。美しい極光を見た刹那に、肉体も、ともに燃えてあとかたもなく焼失してしまえば、たすかるのだが、そうもいかない。」
「意気地がないのね。」
「ああ、もう、言葉は、いやだ。なんとでも言える。刹那のことは、刹那主義者に問え、だ。手をとって教えてくれる。みんな自分の料理法のご自慢だ。人生への味附けだ。思い出に生きるか、いまのこの刹那に身をゆだねるか、それとも、――将来の希望とやらに生きるか、案外、そんなところから人間の馬鹿と悧巧《りこう》のちがいが、できて来るのかも知れない。」
「あなたは、ばかなの?」
「およしよ、K。ばかも悧巧もない。僕たちは、もっとわるい。」
「教えて!」
「ブルジョア。」
それも、おちぶれたブルジョア。罪の思い出だけに生きている。ふたり、たいへん興ざめして、そそくさと立ちあがり、手拭い持って、階下の大浴場へ降りて行く。
過去も、明日も、語るまい。ただ、このひとときを、情にみちたひとときを、と沈黙のうちに固く誓約して、私も、Kも旅に出た。家庭の事情を語ってはならぬ。身のくるしさを語ってはならぬ。明日の恐怖を語ってはならぬ。人の思惑を語ってはならぬ。きのうの恥を語ってはならぬ。ただ、このひととき、せめて、このひとときのみ、静謐《せいひつ》であれ、と念じながら、ふたり、ひっそりからだを洗った。
「K、僕のおなかのここんとこに、傷跡があるだろう? これ、盲腸の傷だよ。」
Kは、母のように、やさしく笑う。
「Kの脚だって長いけれど、僕の脚、ほら、ずいぶん長いだろう? できあいのズボンじゃ、だめなんだ。何かにつけて不便な男さ。」
Kは、暗闇の窓を見つめる。
「ねえ、よい悪事って言葉、ないかしら。」
「よい悪事。」私も、うっとり呟《つぶや》いてみる。
「雨?」Kは、ふと、きき耳を立てる。
「谷川だ。すぐ、この下を流れている。朝になってみると、この浴場の窓いっぱい紅葉だ。すぐ鼻のさきに、おや、と思うほど高い山が立っている。」
「ときどき来るの?」
「いいえ。いちど。」
「死にに。」
「そうだ。」
「そのとき遊んだ?」
「遊ばない。」
「今夜は?」Kは、すましている。
私は笑う。「なあんだ、それがKの、よい悪事か。なあんだ。僕はまた、――」
「なに。」
私は決意して、「僕と、一緒に死ぬのかと思った。」
「ああ、」こんどは、Kが笑った。「わるい善行って言葉も、あるわよ。」
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