ど気取っているつもりなのだよ。」
「恋は?」
「自分の足袋のやぶれが気にかかって、それで、失恋してしまった晩もある。」
「ねえ、私の顔、どう?」Kは、まともに顔をちか寄せる。
「どう、って。」私は顔をしかめる。
「きれい?」よそのひとのような感じで、「わかく見える?」
 私は、殴りつけたく思う。
「K、そんなに、さびしいのか。K、おぼえて置くがいい。Kは、良妻賢母で、それから、僕は不良少年、ひとの屑《くず》だ。」
「あなただけ、」言いかけたとき、女中がミルクを持って来る。「あ、どうも。」
「くるしむことは、自由だ。」私は、熱いミルクを啜《すす》りながら、「よろこぶことも、そのひとの自由だ。」
「ところが、私、自由じゃない。両方とも。」
 私は深い溜息をつく。
「K、うしろに五、六人、男がいるね。どれがいい?」
 つとめ人らしい若いのが四人、麻雀《マージャン》をしている。ウイスキーソーダを飲みながら新聞を読んでいる中年の男が、二人。
「まんなかのが。」Kは、山々の面を拭いてあるいている霧の流れを眺めながら、ゆっくり呟く。
 ふりむいて、みると、いつのまにか、いまひとりの青年が、サロンのまんなかに立っていて、ふところ手のまま、入口の右隅にある菊の生花を見つめている。
「菊は、むずかしいからねえ。」Kは、生花の、なんとか流の、いい地位にいた。
「ああ、古い、古い。あいつの横顔、晶助兄さんにそっくりじゃないか。ハムレット。」その兄は、二十七で死んだ。彫刻をよくしていた。
「だって、私は男のひと、他にそんなに知らないのだもの。」Kは、恥ずかしそうにしていた。
 号外。
 女中は、みなに一枚一枚くばって歩いた。――事変以来八十九日目。上海《シャンハイ》包囲全く成る。敵軍|潰乱《かいらん》全線に総退却。
 Kは号外をちらと見て、
「あなたは?」
「丙種。」
「私は甲種なのね。」Kは、びっくりする程、大きい声で、笑い出した。「私は、山を見ていたのじゃなくってよ。ほら、この、眼のまえの雨だれの形を見ていたの。みんな、それぞれ個性があるのよ。もったいぶって、ぽたんと落ちるのもあるし、せっかちに、痩《や》せたまま落ちるのもあるし、気取って、ぴちゃんと高い音たてて落ちるのもあるし、つまらなそうに、ふわっと風まかせに落ちるのもあるし、――」

 Kも、私も、くたくたに疲れていた。その日湯河原を発って熱海についたころには、熱海のまちは夕靄《ゆうもや》につつまれ、家家の灯は、ぼっと、ともって、心もとなく思われた。
 宿について、夕食までに散歩しようと、宿の番傘を二つ借りて、海辺に出て見た。雨天のしたの海は、だるそうにうねって、冷いしぶきをあげて散っていた。ぶあいそな、なげやりの感じであった。
 ふりかえって、まちを見ると、ただ、ぱらぱらと灯が散在していて、
「こどものじぶん、」Kは立ちどまって、話かける。「絵葉書に針でもってぷつぷつ穴をあけて、ランプの光に透かしてみると、その絵葉書の洋館や森や軍艦に、きれいなイルミネエションがついて、――あれを思い出さない?」
「僕は、こんなけしき、」私は、わざと感覚の鈍《にぶ》い言いかたをする。「幻燈で見たことがある。みんなぼっとかすんで。」
 海岸通りを、そろそろ歩いた。「寒いね。お湯にはいってから、出て来ればよかった。」
「私たち、もうなんにも欲しいものがないのね。」
「ああ、みんなお父さんからもらってしまった。」
「あなたの死にたいという気持、――」Kは、しゃがんで素足の泥を拭きながら、「わかっている。」
「僕たち、」私は十二、三歳の少年の様に甘える。「どうして独力で生活できないのだろうね。さかなやをやったって、いいんだ。」
「誰も、やらせてくれないよ。みんな、意地わるいほど、私たちを大切にしてくれるからね。」
「そうなんだよ、K。僕だって、ずいぶん下品なことをしたいのだけれど、みんな笑って、――」魚釣る人のすがたが、眼にとまった。「いっそ、一生、釣りでもして、阿呆《あほう》みたいに暮そうかな。」
「だめさ。魚の心が、わかりすぎて。」
 ふたり、笑った。
「たいてい、わかるだろう? 僕がサタンだということ。僕に愛された人は、みんな、だいなしになってしまうということ。」
「私には、そう思えないの。誰もおまえを憎んでいない。偽悪趣味。」
「甘い?」
「ああ、このお宮の石碑みたい。」路傍に、金色夜叉の石碑が立っている。
「僕、いちばん単純なことを言おうか。K、まじめな話だよ。いいかい? 僕を、――」
「よして! わかっているわよ。」
「ほんとう?」
「私は、なんでも知っている。私は、自分がおめかけの子だってことも知っています。」
「K。僕たち、――」
「あ、危い。」Kは私のからだをかばった。
 ばりばりと音たててKの傘が
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