女人創造
太宰治
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)甚《はなは》だ
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男と女は、ちがうものである。あたりまえではないか、と失笑し給うかも知れぬが、それでいながら、くるしくなると、わが身を女に置きかえて、さまざまの女のひとの心を推察してみたりしているのだから、あまり笑えまい。男と女はちがうものである。それこそ、馬と火鉢ほど、ちがう。思いにふける人たちは、これに気がつくこと、甚《はなは》だおそい。私も、このごろ、気がついた。名前は忘れたが或る外国人のあらわしたショパン伝を読んでいたら、その中に小泉八雲の「男は、その一生涯に、少くとも一万回、女になる。」という奇怪な言葉が引用されていたが、そんなことはないと思う。それは、安心していい。
日本の作家で、ほんとうの女を描いているのは、秋江《しゅうこう》であろう。秋江に出て来る女は、甚だつまらない。「へえ。」とか、「そうねえ。」とか呟《つぶや》いているばかりで、思索的でないこと、おびただしい。けれども、あれは、正確なのである。謂《い》わば、なつかしい現実である。
江戸の小咄《こばなし》にも、あるではないか。
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