朝、垣根越しにとなりの庭を覗《のぞ》き見していたら、寝巻姿のご新造が出て来て、庭の草花を眺め、つと腕をのばし朝顔の花一輪を摘《つ》み取った。ああ風流だな、と感心して見ていたら、やがて新造は、ちんとその朝顔で鼻をかんだ。
 モオパスサンは、あれは、女の読むものである。私たち一向に面白くないのは、あれには、しばしば現実の女が、そのままぬっと顔を出して来るからである。頗《すこぶ》る、高邁でない。モオパスサンは、あれほどの男であるから、それを意識していた。自分の才能を、全人格を厭悪《えんお》した。作品の裏のモオパスサンの憂鬱と懊悩《おうのう》は、一流である。気が狂った。そこにモオパスサンの毅然《きぜん》たる男性が在る。男は、女になれるものではない。女装することは、できる。これは、皆やっている。ドストエフスキイなど、毛臑《けずね》まるだしの女装で、大真面目である。ストリンドベリイなども、ときどき熱演のあまり鬘《かつら》を落して、それでも平気で大童《おおわらわ》である。
 女が描けていない、ということは、何も、その作品の決定的な不名誉ではない。女を描けないのではなくて、女を描かないのである。そこに
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