手の女学生はおおよそ一時間前に、頸の銃創から出血して死んだものらしかった。それから二本の白樺の木の下の、寂しい所に、物を言わぬ証拠人として拳銃が二つ棄ててあるのを見出した。拳銃は二つ共、込めただけの弾丸を皆打ってしまってあった。そうして見ると、女房の持っていた拳銃の最後の一弾が気まぐれに相手の体に中《あた》ろうと思って、とうとうその強情を張り通したものと見える。
 女房は是非この儘《まま》抑留して置いて貰いたいと請求した。役場では、その決闘と云うものが正当な決闘であったなら、女房の受ける処分は禁獄に過ぎぬから、別に名誉を損ずるものではないと、説明して聞かせたけれど、女房は飽《あ》くまで留めて置いて貰おうとした。
 女房は自分の名誉を保存しようとは思っておらぬらしい。たったさっきまで、その名誉のために一命を賭《と》したのでありながら、今はその名誉を有している生活と云うものが、そこに住《すま》う事も、そこで呼吸をする事も出来ぬ、雰囲気の無い空間になったように、どこへか押し除《の》けられてしまったように思われるらしい。丁度死んでしまったものが、もう用が無くなったので、これまで骨を折って覚えた言語その外の一切の物を忘れてしまうように、女房は過去の生活を忘れてしまったものらしい。
 女房は市へ護送せられて予審に掛かった。そこで未決檻《みけつかん》に入れられてから、女房は監獄長や、判事や、警察医や僧侶に、繰り返して、切に頼み込んで、これまで夫としていた男に衝《つ》き合せずに置いて貰う事にした。そればかりでは無い。その男の面会に来ぬようにして貰った。それから色色な秘密らしい口供《こうきょう》をしたり、又わざと矛盾する口供をしたりして、予審を二三週間長引かせた。その口供が故意にしたのであったと云う事は、後になって分かった。
 或る夕方、女房は檻房《かんぼう》の床の上に倒れて死んでいた。それを見附けて、女の押丁《おうてい》が抱いて寝台の上に寝かした。その時女房の体が、着物だけの目方しかないのに驚いた。女房は小鳥が羽の生えた儘《まま》で死ぬように、その着物を着た儘で死んだのである。跡から取調べたり、周囲の人を訊問して見たりすると、女房は檻房に入れられてから、絶食して死んだのであった。渡された食物を食わぬと思われたり、又無理に食わせられたりすまいと思って、人の見る前では呑み込んで、直ぐそれを吐き出したこともあったらしい。丁度相手の女学生が、頸の創《きず》から血を出して萎《しな》びて死んだように絶食して、次第に体を萎びさせて死んだのである。」
 女房も死んでしまいました。はじめから死ぬるつもりで、女学生に決闘を申込んだ様子で、その辺の女房のいじらしい、また一筋の心理に就いては、次回に於いて精細に述べることにして、今は専《もっぱ》ら、女房の亭主すなわち此の短いが的確の「女の決闘」の筆者、卑怯《ひきょう》千万の芸術家の、その後の身の上に就いて申し上げる事に致します。女学生は、何やら外国語を一言叫んで、死んでいった。女房も、ほとんど自殺に等しい死にかたをして、この世から去っていった。けれども、三人の中で最も罪の深い、この芸術家だけは、死にもせずペンを握って、「小鳥が羽の生えた儘で死ぬように、その着物を着た儘で死んだのである。」などと、自分の女房のみじめな死を、よそごとのように美しく形容し、その棺に花束一つ投入してやったくらいの慈善を感じてすましている。これは、いかにも不思議であります。果して、芸術家というものは、そのように冷淡、心の奥底まで一個の写真機に化しているものでしょうか。私は、否、と答えたいのでありますが、とにかく今、諸君と共に、この難問に就いて、尚《なお》しばらく考えてみることに致しましょう。この悪徳の芸術家は、女房の取調べと同時に、勿論、市の裁判所に召喚され、予審検事の皮肉極まる訊問を受けた筈であります。
 ――どうも、とんだ災難でございましたね。(と検事は芸術家に椅子を薦《すす》めて言いました。)奥さんのおっしゃる事は、ちっとも筋道がとおりませんので、私ども困って居ります。一体、どういう原因に拠る決闘だか、あなたは、ご存じなんですね。
 ――存じません。
 ――私の言いかたが下手《へた》だったのかしら。失礼いたしました。何か、お心当りは在る筈なんですね。
 ――心当り?
 ――相手の女学生を、ご存じなんですね。
 ――相手の?
 ――いいえ、奥さんの相手です。失礼いたしました。奥さんの決闘の相手です。お互い紳士ですものね。
 ――存じて居ります。
 ――え? 何をご存じなんです。煙草《たばこ》はいかがです。ずいぶん煙草を、おやりのようですね。煙草は、思索の翼と言われていますからね。あなたの作品を、うちの女房と娘が奪い合いで読んでいますよ。「法
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