はいつまでも愚図愚図つづいて、蒋介石《しょうかいせき》を相手にするのしないのと騒ぎ、結局どうにも形がつかず、こんどは敵は米英という事になり、日本の老若男女すべてが死ぬ覚悟を極《きわ》めた。
実に悪い時代であった。その期間に、愛情の問題だの、信仰だの、芸術だのと言って、自分の旗を守りとおすのは、実に至難の事業であった。この後だって楽じゃない。こんな具合じゃ仕様が無い。また十何年か前のフネノフネ時代にかえったんでは意味が無い。戦争時代がまだよかったなんて事になると、みじめなものだ。うっかりすると、そうなりますよ。どさくさまぎれに一もうけなんて事は、もうこれからは、よすんだね。なんにもならんじゃないか。
昭和十七年、昭和十八年、昭和十九年、昭和二十年、いやもう私たちにとっては、ひどい時代であった。私は三度も点呼を受けさせられ、そのたんびに竹槍《たけやり》突撃の猛訓練などがあり、暁天動員だの何だの、そのひまひまに小説を書いて発表すると、それが情報局に、にらまれているとかいうデマが飛んで、昭和十八年に「右大臣|実朝《さねとも》」という三百枚の小説を発表したら、「右大臣《ユダヤジン》実朝」とい
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