、私のこれまでの浪々生活の、あらましの経緯である。
私は既に三十七歳になっている。そうしてまたもや無一物の再出発をしなければならなくなった。やっぱり、サロン思想嫌悪の情を以《もっ》て。
創作年表とでも称すべき手帳を繰ってみると、まあ、過去十何年間、どのとしも、どの年も、ひでえみじめな思いばかりして来たのが、よくわかる。いったい私たちの年代の者は、過去二十年間、ひでえめにばかり遭《あ》って来た。それこそ怒濤《どとう》の葉っぱだった。めちゃ苦茶だった。はたちになるやならずの頃に、既に私たちの殆《ほと》んど全部が、れいの階級闘争に参加し、或る者は投獄され、或る者は学校を追われ、或る者は自殺した。東京に出てみると、ネオンの森である。曰《いわ》く、フネノフネ。曰く、クロネコ。曰く、美人座。何が何やら、あの頃の銀座、新宿のまあ賑《にぎわ》い。絶望の乱舞である。遊ばなければ損だとばかりに眼つきをかえて酒をくらっている。つづいて満洲事変。五・一五だの、二・二六だの、何の面白くもないような事ばかり起って、いよいよ支那事変《しなじへん》になり、私たちの年頃の者は皆戦争に行かなければならなくなった。事変
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