した片手を、ぴくつとひつこめた。私は、葡萄をみよの方へおしつけ、おい、と呼んで舌打した。
 みよは、右手の附根を左手できゆつと握つていきんでゐた。刺されたべ、と聞くと、ああ、とまぶしさうに眼を細めた。ばか、と私は叱つて了つた。みよは默つて、笑つてゐた。これ以上私はそこにゐたたまらなかつた。くすりつけてやる、と言つてそのかこひから飛び出した。すぐ母屋へつれて歸つて、私はアンモニアの瓶を帳場の藥棚から搜してやつた。その紫の硝子瓶を、出來るだけ亂暴にみよへ手渡したきりで、自分で塗つてやらうとはしなかつた。
 その日の午後に、私は、近ごろまちから新しく通ひ出した灰色の幌のかかつてあるそまつな乘合自動車にゆすぶられながら、故郷を去つた。うちの人たちは馬車で行け、と言つたのだが、定紋のついて黒くてかてか光つたうちの箱馬車は、殿樣くさくて私にはいやだつたのである。私は、みよとふたりして摘みとつた一籠の葡萄を膝の上にのせて、落葉のしきつめた田舍道を意味ふかく眺めた。私は滿足してゐた。あれだけの思ひ出でもみよに植ゑつけてやつたのは私として精いつぱいのことである、と思つた。みよはもう私のものにきまつた、と
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