つて、これは奇書だとか、そんなことを言つて友人たちを驚かせたものであつた。
みよの思ひ出も次第にうすれてゐたし、そのうへに私は、ひとつうちに居る者どうしが思つたり思はれたりすることを變にうしろめたく感じてゐたし、ふだんから女の惡口ばかり言つて來てゐる手前もあつたし、みよに就いて譬へほのかにでも心を亂したのが腹立しく思はれるときさへあつたほどで、弟にはもちろん、これらの友人たちにもみよの事だけは言はずに置いたのである。
ところが、そのあたり私は、ある露西亞の作家の名だかい長編小説を讀んで、また考へ直して了つた。それは、ひとりの女囚人の經歴から書き出されてゐたが、その女のいけなくなる第一歩は、彼女の主人の甥にあたる貴族の大學生に誘惑されたことからはじまつてゐた。私はその小説のもつと大きなあぢはひを忘れて、そのふたりが咲き亂れたライラツクの花の下で最初の接吻を交したペエジに私の枯葉の枝折をはさんでおいたのだ。私もまた、すぐれた小説をよそごとのやうにして讀むことができなかつたのである。私には、そのふたりがみよと私とに似てゐるやうな氣分がしてならなかつた。私がいま少しすべてにあつかましかつた
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