。見ると普通のくはがたむしであつた。私はその鞘翅類をも私の採集した珍昆蟲十種のうちにいれて教師へ出した。
 休暇が終りになると私は悲しくなつた。故郷をあとにし、その小都會へ來て、呉服商の二階で獨りして行李をあけた時には、私はもう少しで泣くところであつた。私は、そんな淋しい場合には、本屋へ行くことにしてゐた。そのときも私は近くの本屋へ走つた。そこに並べられたかずかずの刊行物の背を見ただけでも、私の憂愁は不思議に消えるのだ。その本屋の隅の書棚には、私の欲しくても買へない本が五六册あつて、私はときどき、その前へ何氣なささうに立ち止つては膝をふるはせながらその本の頁を盜み見たものだけれど、しかし私が本屋へ行くのは、なにもそんな醫學じみた記事を讀むためばかりではなかつたのである。その當時私にとつて、どんな本でも休養と慰安であつたからである。
 學校の勉強はいよいよ面白くなかつた。白地圖に山脈や港灣や河川を水繪具で記入する宿題などは、なによりも呪はしかつた。私は物事に凝るはうであつたから、この地圖の彩色には三四時間も費やした。歴史なんかも、教師はわざわざノオトを作らせてそれへ講義の要點を書き込めと
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