火をめらめらと燃やして、飛んで來るたくさんの蟲を網や箒で片つぱしからたたき落した。末の兄は美術學校の塑像科へ入つてゐたが、まいにち中庭の大きい栗の木の下で粘土をいぢくつてゐた。もう女學校を卒へてゐた私のすぐの姉の胸像を作つてゐたのである。私も亦その傍で、姉の顏を幾枚もスケツチして、兄とお互ひの出來上り案配をけなし合つた。姉は眞面目に私たちのモデルになつてゐたが、そんな場合おもに私の水彩畫の方の肩を持つた。この兄は若いときはみんな天才だ、などと言つて、私のあらゆる才能を莫迦にしてゐた。私の文章をさへ、小學生の綴方、と言つて嘲つてゐた。私もその當時は、兄の藝術的な力をあからさまに輕蔑してゐたのである。
ある晩、その兄が私の寢てゐるところへ來て、治、珍動物だよ、と聲を低くして言ひながら、しやがんで蚊帳の下から鼻紙に輕く包んだものをそつと入れて寄こした。兄は、私が珍らしい昆蟲を集めてゐるのを知つてゐたのだ。包の中では、かさかさと蟲のもがく足音がしてゐた。私は、そのかすかな音に、肉親の情を知らされた。私が手暴くその小さい紙包をほどくと、兄は、逃げるぜえ、そら、そら、と息をつめるやうにして言つた
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