の通告簿を片手に握つて、もう一方の手で靴を吊り下げたまま、裏の海岸まではだしで走つた。嬉しかつたのである。
 一學期ををへて、はじめての歸郷のときは、私は故郷の弟たちに私の中學生生活の短い經驗を出來るだけ輝かしく説明したく思つて、私がその三四ヶ月間身につけたすべてのもの、座蒲團のはてまで行李につめた。
 馬車にゆられながら隣村の森を拔けると、幾里四方もの青田の海が展開して、その青田の果てるあたりに私のうちの赤い大屋根が聳えてゐた。私はそれを眺めて十年も見ない氣がした。
 私はその休暇のひとつきほど得意な氣持でゐたことがない。私は弟たちへ中學校のことを誇張して夢のやうに物語つた。その小都會の有樣をも、つとめて幻妖に物語つたのである。
 私は風景をスケツチしたり昆蟲の採集をしたりして、野原や谷川をはしり※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]つた。水彩畫を五枚ゑがくのと珍らしい昆蟲の標本を十種あつめるのとが、教師に課された休暇中の宿題であつた。私は捕蟲網を肩にかついで、弟にはピンセツトだの毒壺だののはひつた採集鞄を持たせ、もんしろ蝶やばつたを追ひながら一日を夏の野原で過した。夜は庭園で焚
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