よけい氣もひけて、尚のことこんな反撥をしたのであつた。
 冬ちかくなつて、私も中學校への受驗勉強を始めなければいけなくなつた。私は雜誌の廣告を見て、東京へ色々の參考書を注文した。けれども、それを本箱に並べただけで、ちつとも讀まなかつた。私の受驗することになつてゐた中學校は、縣でだいいちのまちに在つて、志願者も二三倍は必ずあつたのである。私はときどき落第の懸念に襲はれた。そんな時には私も勉強をした。そして一週間もつづけて勉強すると、すぐ及第の確信がついて來るのだ。勉強するとなると、夜十二時ちかくまで床につかないで、朝はたいてい四時に起きた。勉強中は、たみといふ女中を傍に置いて、火をおこさせたり茶をわかさせたりした。たみは、どんなにおそくまで宵つぱりしても翌る朝は、四時になると必ず私を起しに來た。私が算術の鼠が子を産む應用問題などに困らされてゐる傍で、たみはおとなしく小説本を讀んでゐた。あとになつて、たみの代りに年とつた肥えた女中が私へつくやうになつたが、それが母のさしがねである事を知つた私は、母のその底意を考へて顏をしかめた。
 その翌春、雪のまだ深く積つてゐた頃、私の父は東京の病院で血
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