。私は下男たちを助ける名の陰で、私の顏色をよくする事をも計つてゐたのであつたが、それほど勞働してさへ私の顏色はよくならなかつたのである。
中學校にはひるやうになつてから、私はスポオツに依つていい顏色を得ようと思ひたつて、暑いじぶんには、學校の歸りしなに必ず海へはひつて泳いだ。私は胸泳といつて雨蛙のやうに兩脚をひらいて泳ぐ方法を好んだ。頭を水から眞直に出して泳ぐのだから、波の起伏のこまかい縞目も、岸の青葉も、流れる雲も、みんな泳ぎながらに眺められるのだ。私は龜のやうに頭をすつとできるだけ高くのばして泳いだ。すこしでも顏を太陽に近寄せて、早く日燒がしたいからであつた。
また、私のゐたうちの裏がひろい墓地だつたので、私はそこへ百米の直線コオスを作り、ひとりでまじめに走つた。その墓地はたかいポプラの繁みで圍まれてゐて、はしり疲れると私はそこの卒堵婆の文字などを讀み讀みしながらぶらついた。月穿潭底とか、三界唯一心とかの句をいまでも忘れずにゐる。ある日私は、錢苔《ぜにごけ》のいつぱい生えてゐる黒くしめつた墓石に、寂性清寥居士といふ名前を見つけてかなり心を騷がせ、その墓のまへに新しく飾られてあつた紙の蓮華の白い葉に、おれはいま土のしたで蛆蟲とあそんでゐる、と或る佛蘭西の詩人から暗示された言葉を、泥を含ませた私の人指ゆびでもつて、さも幽靈が記したかのやうにほそぼそとなすり書いて置いた。そのあくる日の夕方、私は運動にとりかかる前に、先づきのふの墓標へお參りしたら、朝の驟雨で亡魂の文字はその近親の誰をも泣かせぬうちに跡かたもなく洗ひさらはれて、蓮華の白い葉もところどころ破れてゐた。
私はそんな事をして遊んでゐたのであつたが、走る事も大變巧くなつたのである。兩脚の筋肉もくりくりと丸くふくれて來た。けれども顏色は、やつぱりよくならなかつたのだ。黒い表皮の底には、濁つた蒼い色が氣持惡くよどんでゐた。
私は顏に興味を持つてゐたのである。讀書にあきると手鏡をとり出し、微笑んだり眉をひそめたり頬杖ついて思案にくれたりして、その表情をあかず眺めた。私は必ずひとを笑はせることの出來る表情を會得した。目を細くして鼻を皺め、口を小さく尖らすと、兒熊のやうで可愛かつたのである。私は不滿なときや當惑したときにその顏をした。私のすぐの姉はそのじぶん、まちの縣立病院の内科へ入院してゐたが、私は姉を見舞ひに
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