ひどく眠らせなかつた。私は又、寢床の中で火事の恐怖に理由なく苦しめられた。此の家が燒けたら、と思ふと眠るどころではなかつたのである。いつかの夜、私が寢しなに厠へ行つたら、その厠と廊下ひとつ隔てた眞暗い帳場の部屋で、書生がひとりして活動寫眞をうつしてゐた。白熊の、氷の崖から海へ飛び込む有樣が、部屋の襖へマツチ箱ほどの大きさでちらちら映つてゐたのである。私はそれを覗いて見て、書生のさういふ心持が堪らなく悲しく思はれた。床に就いてからも、その活動寫眞のことを考へると胸がどきどきしてならぬのだ。書生の身の上を思つたり、また、その映寫機のフヰルムから發火して大事になつたらどうしようとそのことが心配で心配で、その夜はあけがた近くになる迄まどろむ事が出來なかつたのである。祖母を有難く思ふのはこんな夜であつた。
まづ、晩の八時ごろ女中が私を寢かして呉れて、私の眠るまではその女中も私の傍に寢ながら附いてゐなければならなかつたのだが、私は女中を氣の毒に思ひ、床につくとすぐ眠つたふりをするのである。女中がこつそり私の床から脱け出るのを覺えつつ、私は睡眠できるやうひたすら念じるのである。十時頃まで床のなかで轉輾してから、私はめそめそ泣き出して起き上る。その時分になると、うちの人は皆寢てしまつてゐて、祖母だけが起きてゐるのだ。祖母は夜番の爺と、臺所の大きい圍爐裏を挾んで話をしてゐる。私はたんぜんを着たままその間にはひつて、むつつりしながら彼等の話を聞いてゐるのである。彼等はきまつて村の人々の噂話をしてゐた。或る秋の夜更に、私は彼等のぼそぼそと語り合ふ話に耳傾けてゐると、遠くから蟲おくり祭の太鼓の音がどんどんと響いて來たが、それを聞いて、ああ、まだ起きてゐる人がたくさんあるのだ、とずゐぶん氣強く思つたことだけは忘れずにゐる。
音に就いて思ひ出す。私の長兄は、そのころ東京の大學にゐたが、暑中休暇になつて歸郷する度毎に、音樂や文學などのあたらしい趣味を田舍へひろめた。長兄は劇を勉強してゐた。或る郷土の雜誌に發表した「奪ひ合ひ」といふ一幕物は、村の若い人たちの間で評判だつた。それを仕上げたとき、長兄は數多くの弟や妹たちにも讀んで聞かせた。皆、判らない判らない、と言つて聞いてゐたが、私には判つた。幕切の、くらい晩だなあ、といふ一言に含まれた詩をさへ理解できた。私はそれに「奪ひ合ひ」でなく「あざみ草
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